「日大三のV戦士」が2年後にプロで再会だ! 東京6大学リーグ各校の4年生進路がほぼ出そろった。11年夏に日大三(西東京)で全国優勝し、同リーグに進んだ5選手はプロと社会人に進路を絞った。高校、大学で主将を務めた法大・畔上翔外野手(4年)はホンダ鈴鹿へ進む。阪神1位の明大・高山俊外野手(22)ら同期と再び同じ世界で戦うべくレベルアップを図る。

 11年夏の甲子園決勝。畔上は主将として日大三を先導し、圧倒的な強さで光星学院(現八戸学院光星)を破った。あれから4年。法大入学後にプロを目指したが、ドラフト会議では声が掛からなかった。プロへ行けなければ野球をやめようと思っていたが、社会人で続ける決心をした。「目標を達成しないまま野球をやめていいのかなと思いました」と理由を語る。

 企業に待ってもらう「プロ待ち」はしないつもりだった。プロ以外考えていなかったし、“保険”をかけないことが覚悟だと思っていた。でも、思い直した。「親もずっと一緒に頑張ってきてくれたから」。実家はリサイクル関係の自営業を営む。1人息子だが、「跡を継げ」と言われたことは1度もない。ずっと応援してくれた夢を、途中で投げ出すわけにはいかなかった。

 2年前に助監督として法大へ戻ってきた青木久典監督(42)の存在もある。3年夏。富士大時代の教え子である西武山川の練習見学に連れて行ってくれた。「すごいと思いました」。会話はしなかったが、肌で感じた。監督は休日も練習に付き合ってくれた。ティー打撃では約700球を打ち込んだ。「ありがたかったです。青木監督の存在は大きいです」。野球を続けるのは師の願いでもあった。

 個人練習が実を結び、今秋リーグ戦の打率は4割4厘。首位打者の早大・重信に次ぐ2位で、4年間で最高打率を残した。「1、2年生の時は打てなくて恥ずかしかった。やっぱり練習は大事ですね」と笑う。既にホンダ鈴鹿入りし、再び練習の虫になっている。

 畔上を含め「日大三のV戦士」5人が、東京6大学へ進んだ。阪神1位の高山、日本ハム6位の慶大・横尾俊建内野手(22)らプロに行った同期との再会は早くて2年後だ。「それぞれが自分の世界で頑張るだけ。その結果、また同じ世界で戦えればいい」。異なる場所で力をつけ、再び相まみえる。【和田美保】

 ◆畔上翔(あぜがみ・しょう)1993年(平5)5月20日、東京都墨田区生まれ。6歳から野球を始め投手。両国中を経て、日大三3年時にAAAアジア選手権でも主将として優勝に貢献した。法大では3年時に大学日本代表、U-21(21歳以下)代表に選出。通算打率2割9分2厘、3本塁打。祖父は54年に高橋ユニオンズに在籍した玉川照知朗投手。家族は両親。178センチ、85キロ。左投げ左打ち。