明大が3-1で立大との直接対決を制し、完全優勝で14年秋以来3季ぶり、38度目の戴冠を飾った。ドラフト上位候補の柳裕也投手(4年=横浜)が7回1失点。シーズン奪三振数を87に伸ばして歴代6位とし、同じくエース兼主将だった元中日の川上憲伸を超えた。勝ち点5を挙げ、全チームに黒星も喫した10勝5敗1分けでの完全Vは戦後初。明大は、全日本大学選手権(6月6日から7日間、神宮ほか)に出場。

 苦しみながら戦った16戦目に、栄冠が待っていた。柳は、喜びを爆発させて跳びはねた。「このチームで優勝できてうれしい」。戦後初となる10勝5敗1分けでの完全優勝。歓喜の輪に加わった主将の手には、負傷で離脱した主軸佐野恵太内野手(4年=広陵)のユニホームが握られていた。

 リーグ最多の6勝目は苦しんだ。「調子は良くなかった」。毎回安打を打たれたが、巧みなバント処理で併殺を奪った。1-0の7回に1点を奪われたが、裏に代打の宮崎が適時打を放って勝ち越した。「感動しました」。8安打1失点。5奪三振でシーズン奪三振を87とし、防御率0・87で「3冠」1位。名実共に東京6大学NO・1だ。

 元中日の川上以来、19年ぶりのエース兼主将となった。善波達也監督(53)は「柳あってのチーム。技術も心も成長している」と全幅の信頼を置く。法大戦で3連投させた。3回戦のブルペンでは球が走っておらず、指揮官は不安の色をにじませた。しかし、柳は「今日が一番調子いいです」と言った。6回1失点と粘投。周囲の不安をくみ取り、責任を果たしてきた。

 毎試合、スタンドから背中を押された。小6の時に父を事故で亡くし、母薫さん(46)が女手一つで育ててくれた。明大入学後、母は少しずつ旅費をためていた。今春は宮崎から全試合駆け付けてくれた。「母親の気持ちの入り方が半端なかったです」と照れ笑いしたが、これ以上ない力だった。震えながら泣く母の前で最高の親孝行ができた。

 12年ぶりに東大に敗れたチームが、この日頂点に立った。「体はきてます(笑い)。次は日本一の野球部と言われるよう全力で選手権を戦います」。心地よい痛みの中、エースは35年ぶりの春日本一へ思いをはせた。【和田美保】

 ◆柳裕也(やなぎ・ゆうや)1994年(平6)4月22日、宮崎県生まれ。9歳から野球を始め、小松原中では都城シニアに所属。横浜(神奈川)では3度甲子園に出場。明大では1年春からベンチ入り。リーグ通算18勝。180センチ、80キロ。右投げ右打ち。