マンガでも、出来すぎのストーリーだ。日本ハム大谷翔平投手(21)が、ソフトバンク14回戦(ヤフオクドーム)で、プロ野球史上初となる投手の先頭打者アーチを放った。常識破りの「1番投手」で出場すると、1回の第1打席に初球を右中間席へたたき込んだ。2年ぶりの2ケタ本塁打となる10号ソロで自らを援護すると、投げても8回5安打10奪三振で無失点に抑え、8勝目を挙げた。大谷のリアル二刀流の活躍で、チームは10連勝となり2位に浮上した。

 大谷が常識をぶち破った。1回。まっさらな打席に足を踏み入れ、初球、124キロのスライダーを迷いなく振り抜いた。「打った瞬間にいくとは思いました」。右中間席へ、野球人生初めての初球先頭打者本塁打。「1番投手」で出場する歴史的な一戦で、いきなり決勝アーチを放って見せた。興奮と感動を届ける衝撃的なストーリーを、ひとりで完結させた。

 前日2日に栗山監督から告げられた。「びっくりしました」。1番打者での出場は13年5月6日の西武戦で経験しているが、投手としての1番打者は、アマ時代を含めても初めて。この日、選手食堂に張り出されたスタメン表を見て、チーム内も騒然としたという。高橋捕手コーチ兼打撃コーチ補佐は「2度見、3度見ですよ」。杉谷も「7度見くらいしました」と、舞台裏を明かした。

 スタメン発表でスタンドはざわめいた。現代野球の常識からは離れた起用法だったが、栗山監督の意図はそこにあった。「1番投手」は71年に故・外山義明が出場した記録が残る。仕掛けたのは、誰も思いつかない戦術が「三原マジック」と呼ばれた知将、故・三原脩だった。

 同氏を尊敬し、オフには墓参を欠かさない栗山監督の頭に前例は入っていた。単にまねただけではない。三原氏の教えで最も大切にしているのは「先入観をなくしなさい」。最も打席が多く回る1番に投手を置くことは、本当にナンセンスなのか。同監督は試合後、「1番いい打者にたくさん打席が回る」と言った。陽岱鋼が負傷でベンチスタートも要因の1つだが、万人が深く考えず「常識」ととらえている時流に、根拠と信念を持ってぶつかった。

 大谷も言った。「5番だったら(初回に)回ってくるか分からないし、1人出たら準備もしなくてはいけない。(1番は)最初から先頭ということでやりにくくはなかった」。4年目を迎える二刀流への挑戦も、もともと「常識」にとらわれない発想と信念があったからこそ。当初は渦巻いていた批判や疑問も、豊かな才能と努力で消えつつある。投げては自身7連勝でチームは10連勝。大谷は「ここで3つ勝った。ウチからしたらすごく大きいと思います」。奇跡の逆転リーグ制覇も、不可能な難題だとは思わない。【本間翼】

 ◆大リーグでは 1番投手の先頭打者本塁打は、記録が判明している限り大リーグでも見当たらない。53年アルビン・ダーク(ジャイアンツ)や68年シーザー・トーバー(ツインズ)が1番投手で起用されているが、本塁打はない。ダークはシーズン最終戦、トーバーは同じ試合で全ポジションを守るなどファンサービスの意味合いが強かった。

 ▼1番投手で出場した大谷が自身初の先頭打者本塁打。1番投手で先発出場は44年8月14日山田(阪急)71年8月22日外山(ヤクルト)に次いで45年ぶり3人目。山田は3安打を放って完封勝ちしたが、先頭打者弾に限らず1番で本塁打を打った投手は大谷が初。なお、大谷の1番は右翼で出場した13年5月6日西武戦以来2度目。

 ▼大谷の本塁打は通算28本目だが、登板時に打ったのは初。パ・リーグ投手の本塁打は、交流戦の11年6月15日フィガロ(オリックス)以来。DH制導入の75年以降、9人制の交流戦ではなく、パ・リーグ同士の対戦で本塁打を打った投手は91年5月29日シュルジー(オリックス)が近鉄戦で記録して以来2人目。

 ▼大谷の10号は14年に並び自身最多。14年は11勝、10本塁打で史上初の「2桁本塁打+2桁勝利」を達成したが、同一シーズンの「2桁本塁打+勝利」を2度は藤村富(阪神)が48年(13本+2勝)と51年(23本+1勝)に記録して以来2人目。