プレーバック日刊スポーツ! 過去の7月24日付紙面を振り返ります。1991年の1面(東京版)はヤクルト古田敦也の球宴MVPでした。

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<オールスターゲーム:全セ1-0全パ>◇第1戦◇1991年7月23日◇東京ドーム

 ヤクルト古田の肩が魅せた! ’91サンヨーオールスターゲーム第1戦は23日、東京ドームで行われた。キラリ光ったのは、プロ2年生古田だ。全パ3度の盗塁の企てを二塁前でシャットアウト。この初の快挙となる強肩ぶりと好リードで投手陣を支え、MVP獲得。全セは6年ぶりの完封勝利を挙げた。チーム唯一の得点もこの古田、池山のヤクルトコンビで挙げたもの。野村ID野球の教え子が、球宴でも主役に躍り出た。

 打って走れる男秋山が必死の形相で走る。8回裏1死一塁。得点圏に進めば、土壇場で同点の好機だ。あと1メートル……。その時だった。立浪のグラブが前進を阻む。楽々タッチアウト。パで盗塁王に輝いた実績を持つ男は、捕手古田に目をやり、うなるしかなかった。「ウーン、ID野球にやられた。ピッチャーのフォームを完全に盗んだけどねえ」。

 その瞬間、古田は思わずガッツポーズをとっていた。「秋山さんを刺したのが一番うれしい」。この試合、3度目の盗塁刺殺だった。3度の盗塁をすべて刺した。阻止率10割。師匠野村監督を超えた。過去、1試合の盗塁阻止2は野村監督はじめ6人の捕手がいたが、3はこの古田が初めてだ。

 セでダントツの阻止率5割2分9厘を誇り、野村監督に「あの肩に1億円の保険をかけるか」と言わせた男だ。その強肩を、ドームを埋めたファンに見せつけた。「セで(盗塁を)刺せて、パの選手に走られたらなんだあ、ということになるもの」と言ってのけた。

 最初に魅せたのは、2回2死一塁。松永が走った。槙原は130キロのスライダー。これまた盗塁王の実績を持つ上、変化球となれば決して楽ではない。が、捕球するや即スローイングのクイックスローで、寸前刺していた。3回、白井一が二人目の犠牲者だ。「変化球を受けて刺したいと思っていたんです。その通りできました」。

 野茂から3回、中前打。この試合唯一のホームも踏んで見事MVPを手中にしていた。

 人気アニメのドラえもんに出てくる「のび太」にソックリな古田。ガリ勉風のメガネが似合う男が、夢の球宴でお立ち台にいる。スタンドでは招待した兄の長久さん(33=会社員)夫妻が興奮した面持ちで拍手を送っている。200万円の数字が入ったプラカードを掲げてカメラマンのポーズに応じる古田は、照れてばかりいて、一向に様にならない。「まだ信じられないです。それにMVPなんて」と、興奮さめやらぬ様子だ。

 球宴出場が決まったときには、「池山さんがMVPでボクと広沢(克)さんは黒子です」と言っていたのに、イケトラ・コンビを抑えてのMVP受賞。「賞金200万円はみんなで分けようと思ったんですけど、池山さんも川崎ももらってるんで、広沢さんにどうもすいませんでした、と頭を下げときました」。肩で大金をものにした「のび太」君は、全セ・ロッカー室を笑いの渦に巻き込んでいた。

 ◆盗塁刺殺の記録を破られたヤクルト野村監督のコメント「ええこっちゃ。肩がいいのはとっくに分かっていること。3個ぐらい刺してもおかしくない。彼の場合はポイントはリードなんですよ」。

 ▼ヤクルト古田が自慢の肩で3度盗塁を刺した。過去、オールスターで1試合に2度刺したのは野村(パ、2度)土井(セ)田淵(セ)梨田(パ)ら6人(7度)いたが、3度刺したのは古田が初めてだ。刺した相手の公式戦での盗塁数と成功率を見ると、松永(15盗塁、94%)白井一(11、44%)秋山(16、84%)となかなかの快足メンバーばかり。今季、盗塁阻止率が5割2分9厘の古田だが、公式戦でも1試合3度は4月25日の大洋6回戦で記録しているだけ。なお、捕手の全イニング出場は1987年(昭62)第1戦の伊東(パ)以来、9人目。

 ◆ヤクルト選手のMVP◆ 1977年(昭52)の若松勉以来14年ぶり。国鉄時代の56年(2試合を通じて一人)、60年第2戦、64年第1戦で金田正一(現ロッテ監督)、73年第1戦、77年第1戦で若松が選ばれており、チーム3人(6回)目。

※記録や表記は当時のもの