セミの鳴き声が聞こえ始めた7月。佐々岡真司は、監督室に呼ばれた。目の前には山本浩二監督と大下剛史ヘッドコーチがいた。「ササ、お前中心で行くぞ」。

 大下ヘッドの言葉に当時2年目、23歳は胸が熱くなった。「期待されている。それがうれしかった」。首位中日とのゲーム差が7・5に広がった。首脳陣は逆転優勝のシナリオの主役に6月まで5勝の佐々岡を指名した。

 前年は先発中継ぎにフル回転し、13勝17セーブを記録した。だが新人王はセーブのリーグ記録を更新した与田剛(中日)に譲り、チームも巨人の独走を許した。「とにかく悔しかった。その思いを91年にぶつけた。2年目のジンクスを心配する声も聞こえていたが、そんなこと気にもしなかった。優勝に貢献できるなら何でもするつもりだった」。佐々岡シフトに応えた。7月から3試合連続で中4日で先発。その後も登板間隔を詰め、優勝を決めたダブルヘッダー2試合目は前回145球完投負けから中3日での先発だった。

 この年、投球回は自己最多の240回に到達した。フル回転の働きも「プロ野球選手なら誰でも優勝を目指すもの」とサラリ。日本シリーズでも初戦から中3日を続け3度先発した。「また優勝できるだろうと思っていたらここまで来てしまった」。あれから25年、指導者となった今もチームへの献身は変わらない。「8、9月の戦いは厳しい。これからも1軍に呼んでもらえる投手を育てていきたい」。喜ぶのはまだ早い。(敬称略)【前原淳】

 ◆佐々岡真司(ささおか・しんじ)1967年(昭42)8月26日、島根出身。NTT中国から89年ドラフト1位で広島入団。2年目は先発として17勝を挙げ、沢村賞を始め投手タイトルを総なめにした。投手事情によって抑えも務め、06年に100勝100セーブを達成。07年で現役引退し、15年から2軍投手コーチ。右投げ右打ち。