91年10月13日。広島市民球場の内野に敷かれたシートの上。ビール掛けで大はしゃぎするナインの脇で、当時のチームに同行していたトレーナーの福永は、懸命に動き回っていた。下を向いてばかりで飲んでない。歓喜を味わうどころではなかった。「ケガをされたらかなわんけえね」。ビール瓶、コップのガラスの破片を必死で回収していた。野村が二塁にヘッドスライディングをすれば、手を差しのべにいった。

 91年は津田に付きっきりだった。ベンチを空けたのもこのときが初めて。だが、だからこそ津田のことを公に語ることはない。感情が動き続けた1年。寝付けず、食事は喉を通らない。帰宅して嘔吐(おうと)したこともあった。「選手の気迫を一番感じた年だった。みんなテーピングだらけだった。公表しなかったケガもたくさんある」。負けるわけにはいかなかった。

 「久しぶりに聞いたんだ」。今夏のマツダスタジアム。試合前練習を眺めながら、うれしそうに言った。ある選手に「ケガに気をつけろ」と声を掛けると「ケガをしてダメなら、そこまでの選手です。自分は違う」と返ってきた。91年当時の選手が言っていた言葉だった。時代は「出ながら治す時代」から「休んで治す時代」に変わった。自然に出た言葉に気迫を感じた。

 若い頃「トレーナーの力で1勝出来る」と監督のルーツに言われた。背番号のないユニホームを着用し、いつでも共に戦ってきた。「楽しみじゃね」。グラウンドを見つめる目はやさしい。(敬称略)【池本泰尚】

 ◆福永富雄(ふくなが・とみお)1942年(昭17)山口・下松市生まれ。柔道整復師の資格を取得後、63年に広島に入団。65年に広島商科大短大部を卒業。66年には東京オリンピック5カ国のチームトレーナーとして従事した。75年の初優勝ではエレベーターホールで胴上げされた。98年「日本プロ野球トレーナー協会」会長に就任。広島ではトレーナー部長を務め、現在はトレーナー部アドバイザー。