達川光男はあれから25年たった今でもそのときの胸騒ぎを思い出すという。91年4月14日の巨人戦(広島)。1点リードで抑えの津田恒実が登板。だが投球練習で投げたストレートがワンバウンドした。

 「おいおい。真っすぐやぞ? なんでじゃ? そう思った。今、思えば病気が影響していたのかもしれんのじゃろうけど。そのときに打たれるとか、そんなこととは違う、とてつもない胸騒ぎを覚えたんじゃ」

 マスクをかぶっていた達川の不安は的中する。原に決勝打を許した津田はそれが生涯最後のマウンドとなってしまった。

 脳腫瘍に倒れた同僚。球団は水頭症と発表したが達川は本当の病名を聞かされていたという。

 「なんとも言えない気持ちだった。勝つとかそういうことよりも前に野球をできる喜びのようなものをみんなが感じていた。謙虚にやれたと思う。苦しくても病と闘う津田の苦しみに比べれば、と思ってやれた。中日に離されても接戦続きでも。辛抱強かったと思う。浮かれることもなかったしね」

 93年7月に津田は永眠。もう1度いっしょに野球を、というナインの願いはかなわなかった。

 「津田は打たれた次の試合は朝早く球場に来て外野席の階段を走っていた。『きのうのお客さんにあやまるんだ』と言うてね。よく練習したよ。でも、必死で練習する伝統は広島には生きとる。今なら鈴木誠也とか、そうじゃろ。それが広島なんよ」

 あれから25年。再び練習でたたき上げた男たちが栄光の瞬間を迎えようとしている。(敬称略)【編集委員・高原寿夫】

 ◆達川光男(たつかわ・みつお)1955年(昭30)7月13日生まれ、広島出身。広島商、東洋大を経て77年ドラフト4位で広島入団。正捕手として80年代に活躍した。92年限りで現役引退。95年はダイエーでコーチ。99年から2シーズン広島で監督を務めた。その後も解説者を経て阪神、中日などでコーチを歴任。現在は解説者。右投げ右打ち。