慶大のエース加藤拓也投手(4年=慶応)がリーグ史上24人目(25度目)のノーヒットノーランを達成した。最速150キロをマークし、スライダーも織り交ぜ東大打線を牛耳った。打者31人に対し、三振10、内野ゴロ9(2併殺あり)、内野飛球2、外野飛球4。許した走者は四球5、失策1の6人だった。進路をプロ一本に絞った快速右腕は2ランも放ち、現役最多タイの通算21勝目とした。

 クールなはずの加藤拓が9回、最後の打者を遊撃併殺打に仕留めた瞬間、両手を突き上げた。「できた、やったと思ったら、ああなりました。記録はできるときに狙わないと。あと4回だ、とか言い聞かせていました」。自らに意識させて達成した快記録だった。

 1回、東大の4番田口に150キロを2球記録した。四球、失策の走者は出したものの、2三振。その裏、4点をもらい、上々のスタートを切った。「点を取ってもらって、勝てばいいと思えば(気持ちが)緩んでしまう。ゼロに抑えよう、と意識しました」。3日、創価大とのオープン戦では4回までに6点の援護をもらった。すると直後の5、6回に計4点を失った。その苦い経験が生きた。

 自己最速153キロを誇るが、中盤、スライダー中心の投球に組み替えた。最後の併殺も含めて計12アウトをスライダーで奪った。「ストレートをはられたとき、スライダーでも取れる状態にしたい。取れないから、はられてもストレート勝負になるんで」。6回には自ら2ランも放ち、記録に突き進んだ。「5四球というのが僕らしい。6回に足がつりそうになりましたけど。疲れました」と129球を振り返った。

 加藤拓は試合日、合宿所のある日吉から電車で渋谷に出る。そこから徒歩で神宮に向かう。1年時から続けており、登板に向け頭を整理し、不安を消すためという。「4年間ずっと野球をやってきて4年目が一番よくなきゃいけない。そう思ってやってきました」。1カ月後に控えるドラフト会議を目前に進路をプロ一本に絞った。「でも気にしても仕方がない。マウンドに集中するだけです」。記録達成のボールを手に、帰路も徒歩で渋谷に向かった。【米谷輝昭】

 ◆加藤拓也(かとう・たくや)1994年(平6)12月31日、東京都生まれ。小2で野球を始め捕手。小4で中野リトルに所属し投手も務めた。中野区立第八中では杉並シニアに所属し関東選抜入り。慶応高では捕手として1年からベンチ入りし2年から投手。甲子園出場はなし。175センチ、90キロ。右投げ右打ち。