プレーバック日刊スポーツ! 過去の11月22日付紙面を振り返ります。1992年の1面(東京版)は巨人長島監督がドラフト会議で当たりクジを引き当て、星稜高の松井秀喜内野手との交渉権獲得を伝えています。

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 巨人長島監督の完全勝利で、1992年度のドラフト会議は幕を閉じた。21日、東京・港区の新高輪プリンスホテルで同会議が開かれ、注目のスラッガー、星稜高の松井秀喜内野手(18)は1位指名で4球団が競合の末、長島監督が当たりクジを引き当て、巨人が交渉権を獲得した。続く2位指名でも横浜と競合した日大の左腕、門奈哲寛投手(22)を“獲得”! 長島監督の強運ぶりが際立つ中、ヤクルト野村監督も五輪の銅メダリスト、三菱自動車京都の伊藤智仁投手(22)の交渉権を手にした。プロ野球界に78人の新鮮力が加わった。

 「選択確定」の鮮やかな朱色が目に飛び込んできた。長島監督は笑みをこぼすより先に、右コブシを固く握り締めて親指を立てるガッツポーズ。「オープンしまして、思わずうれしくなって。幸運でした」。念願かなった長島監督は現役時代そのままに、胸の内の喜びをストレートに表現した。監督就任時に「ご縁があれば、ぜひとも育ててみたい」とラブコールを送った恋人・松井を、4分の1の確率の中からズバリ引き当てたのだ。

 松井を1位指名したのは予想通り巨人と阪神、中日、ダイエーの4球団。「クジは強い方じゃないんです」と言う長島監督だが、伊藤菊雄スカウト部長の「この道20年になるが、残りクジに福があるんだ」の言葉にすべてを託して抽選に臨んだ。ジッと宙を仰ぐように待つ長島監督の右隣で、クジ順3番目の阪神中村監督が重なっている封筒の上を払いのけて、下を取り上げた。その瞬間に「巨人松井」が決まっていた。

 長島監督は運命の日を迎えてもこれまでの習慣を変えることはなかった。午前6時に起床して、神棚に両手を合わせて東京・田園調布の自宅を出た。「開き直っていました。残りクジを引くだけですから」。無欲が松井の指名権獲得へとつながったことを強調した。2位指名の門奈も横浜と競合したが、今度は先にクジを引いて抽選2連勝。長島監督の強運ばかりが目立つ満点ドラフトだった。会場から出てきたときの長島監督は、幸せいっぱいの新郎のような笑顔だ。もう松井英才教育のプランも出来上がっている。

 伊藤菊部長によると、来春の宮崎キャンプから松井を一軍で鍛えることを決定。今秋季キャンプで原の三塁コンバートを決めたこともあり、松井を外野手として育成していく方針も検討済みだ。「脚力があり、肩もいい。ポジションのことはチーム事情もあるので、これからですが、内野でも外野でもできるように育てたい」。松井を将来の巨人の4番打者にすることが、自らの使命とでも言わんばかりだ。

 もちろん、巨人は将来のスターに契約金1億3000万円を用意。これまた1億円を突破するのは巨人軍史上初。長島監督の松井へのほれ込みようは半端ではない。ドラフト会議終了後すぐに会場から松井に電話を入れたことからも、それはうかがえる。スカウトからの要請があれば、自ら出馬するつもりでもいる。

 巨人が競合した1位指名選手を引き当てたのは、80年(昭55)に就任1年目の藤田監督が原を獲得して以来12年ぶり。「藤田監督も原を引き当てた年に優勝。干支(えと)も一回りして今度は松井君を当てたのだから、ウフフ」。保科代表は長島監督の強運に来季優勝の予感を抱いていた。

※記録と表記は当時のもの