プレーバック日刊スポーツ! 過去の11月13日付紙面を振り返ります。14年の1面(東京版)では、日本ハム大谷翔平投手が日米野球で衝撃のメジャー斬りをしたことを伝えています。

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<日米野球:日本代表2-0MLB>◇第1戦◇2014年11月12日◇京セラドーム大阪

 侍ジャパン大谷翔平投手(20=日本ハム)が衝撃のデビューを飾った。「2014 SUZUKI 日米野球」第1戦で8回から3番手で登板。150キロ超え連発の真っ向勝負でMLBオールスターを3者凡退で完封リレーを演出。高校時代から公言する、あこがれのメジャーを圧倒した。先発が予定される18日の第5戦(札幌ドーム)へ弾みをつけた。

 対戦を夢見た相手を大谷が力でねじ伏せた。「スピードで押し込めたのは良かった」。剛腕が、うなりを上げた。先頭エスコバルは153キロで詰まらせて右飛、ファウラーは156キロで力のない左飛。続くゾブリストは高め158キロで一ゴロに打ち取った。全12球中10球は150キロ台の直球で最速は159キロ。メジャー仕様のマウンドで躍動した。MLBベンチも含めた場内全体が1球ごとに球速表示にくぎ付け。「引っかけて、いいボールがいかなかった。自分のボールではなかった」と悔しがったが、3者凡退。任務を終えると笑みがはじけた。

 侍ジャパンに合流して5日。あっという間に溶け込み、ノビノビと過ごしている。同学年の藤浪、1歳上の武田とは10日の壮行試合後に会食するなど、同年代が心の支えになっている。その試合で先発した藤浪は日本ハムの同僚谷口の打球が右手に直撃。心配した谷口から電話を受けるとすかさず「骨折です」と返答。絶句する電話口の先輩に「ウソです」と大事に至らなかったことを報告したという。おちゃめにジョークを交える余裕があった。

 花巻東時代に1度はメジャー挑戦を表明。プロ入り後は、憧れを封印し、夢への道しるべを描き直した。投打「二刀流」2年目の今季は投手で11勝、打者で10本塁打。夢の舞台へ着実に近づいたように見えるが、「(メジャーは)ちょっと遠くなったのかなと思います。ちょっと、ですけれどね」と冷静に自分の“現在地”を分析していた。

 高校時代は手の届く場所だと思っていた。「(メジャーを)近くには感じていました」。当時、両親ら周囲は国内プロへ進むことを勧めた。それでも夢を貫こうとしたのは、やや浅はかな思考だったと振り返る。「(日本球界入りして)技術、体力の差が分かった」。日本最高峰の舞台で感じた実力不足。それでも、公言したことに後悔はない。「その時の自分の気持ちを口にすることは、あの段階では良かったのかなと思っています」と潔く現実を受け止めた。

 試合後も落ち着いて振り返った。「まだ1イニングだけじゃ分からない。ただ、今日は0点で抑えられて良かった」。次回は投げ慣れた札幌ドームでの第5戦。先発として、再び大リーガーの前に立ちふさがる。

※記録と表記は当時のもの