夏真っ盛りの8月だった。日本ハムの2軍本拠地、千葉・鎌ケ谷で米野は球団幹部に告げた。「辞めようかなと思います」。昨オフ、西武を戦力外となり、選手兼任2軍バッテリーコーチ補佐として移籍。球団は来季も契約するつもりだった。慰留もされたが、最後は本人の意思が尊重された。来年1月21日に35歳となる。「今だったら全然、チャレンジして良い。失敗しても、いい経験として残る」。現役への未練、迷いは振り切った。

 第2の人生は、プロ野球界で得た知識、財産、経験を社会に還元していくことがテーマだ。「自分は野球の世界で17年間やってきた。体が資本という世界。健康でなければパフォーマンスの質が落ちる。それは一般社会でも同じだと思う」。まずは、誰もが避けて通れない「食」を次のライフワークの出発点とした。

 A4サイズの大学ノートを常に持ち歩き、食についての見聞を広めている。「右も左も分からないから、いろんな人に会って話を聞かせてもらって、常にメモをしている」。食の大切さを訴える最初のツールとして、飲食店開業や講演実施などを起点と考えている。

 現役生活には区切りを付けたが、心までユニホームを脱ぐつもりはない。「野球界から思い切り離れたいとは思っていない。野球で培ったものを、さまざまな形で発信していきたい」。イメージする転身姿は野球界出身のフードコーディネーター。第一線でプレーした経験を生かしてアスリートを支える役割が、理想のセカンドキャリアだという。「地元の北海道でも少しずつ恩返しが出来たら」という夢もかなえるため、まずは「食の伝道師」として再出発する。【木下大輔】