日本通運(さいたま市)の阿部良亮投手(24)が、史上5人目のノーヒットノーランを達成した。3四死球を与えたが、12個の内野ゴロ、9三振を奪う好投でパナソニック(門真市)を抑え込んだ。東京ドームでは初の記録となった。チームは2-0で勝ち準々決勝に進んだ。

 最後も見逃し三振だった。無安打のまま迎えた9回表。阿部は一ゴロ、見逃し三振で2死を奪うと、最後の代打阪口にも追い込んだ後にバットを振らせなかった。5回先頭に四球を出すまで完全投球。この回に四死球で1死一、二塁のピンチを招くも連続三振で切り抜けた。6回にも四球を出したが併殺に切った。東京ドームでは初のノーヒットノーランを成し遂げた。

 阿部はヒーローインタビューで「驚いています。後ろの投手がいいので、思い切って初回から飛ばしていきました」と笑顔で振り返った。記録への意識は「5回のピンチを抑えてから。意識しないようにしてたけど、後半はずっと意識していました」。

 9奪三振のうち6個を見逃しで奪ったことに、好リードした木南了捕手(25)は「落ちる球がよかったから(左打者は)外の真っすぐに手を出しにくかった。(右打者には)外のカットボールがよかったから、内に沈む球が効果的でした」と解説した。内野ゴロ12個も光る。相手が振ってくる打線と見て、試合前からバッテリーで「低めに投げて打たせよう」と話していたという。阿部は「低めに変化球が決まって、おもしろいように打たせて取れました」と喜んだ。

 浦和学院は同学年の南貴樹投手(元ソフトバンク)、東洋大では1学年下の原樹理(ヤクルト)がエースだった。「甲子園ではスタンドだった。(大学では)2年で2部落ちし、1部では0勝」。現在も左腕の高山亮太投手(29)がエースで、華々しさからは遠い。だが、この日は間違いなく、阿部が輝く主役だった。

 ◆阿部良亮(あべ・りょうすけ)1992年(平4)9月7日、埼玉県生まれ。八潮中時代は八潮シニアに所属。浦和学院では1年夏に甲子園出場も登板なし。3年時は元ソフトバンク南貴樹投手とともにマウンドを守った。東洋大を経て日本通運入り。181センチ、80キロ。右投げ左打ち。