森繁和監督(62)を正式に指揮官に迎えて臨んだ2017年の中日だが、5年連続Bクラス、借金20の5位で幕を閉じた。チームに何が起きていたのか。「検証 森繁和竜」と題して、3回に分けて振り返る。

 

 つまずきは昨秋だった。外国人の調査担当を兼ねる友利投手コーチ(当時)が、外国人探しのために渡米したのは12月上旬。狙いはエース級の先発と、抑えができる投手。球団も相応の資金を用意していた。

 だが動きだしが遅すぎて目当ての投手は獲得できない。もし専属の渉外担当がいれば早くから現地で視察し、アプローチもできた。組織の弱みが出た。今年は9月に友利氏のコーチ登録を外し、渡米させた。

 何とか契約にこぎつけたのはアラウホとロンドンの2投手。発表は年明けになっていた。ともにメジャー経験は浅いが日本で通用しそうな“見込み”は確かにあった。アラウホは2メートルの長身。ロンドンは剛速球…。ふたを開けると期待外れ。開幕前には構想から外した。投手補強はドラフトだけ。最下位だった昨年とほぼ変わらない投手陣容で開幕を迎えた。

 先発陣は、残留させたバルデスとジョーダンの踏ん張りで当初をしのいだ。ひずみが先に出たのは救援の方。開幕2戦目の巨人戦は2-1で迎えた9回、抑えに指名された田島で逆転サヨナラ負け。森監督は「開幕してすぐ、勝つべき試合でミスをした。ショックが大きかった」。開幕から1引き分けをはさんで5連敗。1年の流れを変える痛恨の黒星になった。

 田島はセットアッパーで使う構想だったが、助っ人の「外れ」で抑えになった。又吉が一時的に先発転向し、岡田も負傷したため、計算できるセットアッパーは不在。ブルペン体制の整備が間に合わず、4月も5月も最下位で通過した。(続く)【柏原誠】