球界の功労者をたたえる野球殿堂入りが15日、都内の野球殿堂博物館で発表され、阪神の現役監督として初めて金本知憲監督(49)が選出された。02年オフの阪神移籍時から取材してきた元番記者の日刊スポーツ町田達彦記者(現中央競馬デスク)も野球殿堂入りを祝福した。殿堂入りは大きな節目にあたるが、金本監督が現役時代に語った将来の夢は壮大なもの。殿堂入りでも、俳優になることでもなく、球団のオーナーになることだった。

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 申し分のない記録と成績を残し、金本知憲は野球殿堂入りした。阪神監督としてリーグ優勝を目指す3シーズン目の初頭に無粋かも知れないが、野球人・金本が1つのゴールに達したことは間違いない。

 監督として成功することが次なる明確なゴールとして存在するが、記者にはさらにその先の、人間・金本の究極の到達点が気にかかる。

 現役バリバリのころだから、05年か06年だったろう。金本との雑談が、いつかは訪れる引退後についての話題になった。監督ならどのユニホームを着る? 評論家ならどんなスタイルに? それともタレントや映画俳優は? 無邪気な問いをかわしながら、たまにみせる真剣な表情でこう言った。

 「タレントになんてなるか。おれが本当になりたいのはコーチや監督ではない。球団フロントでもないんよ。なれるのなら、オーナーになりたい。自分の球団を持ってみたいんよ」

 プロ入り後に接点があったのは広島松田元オーナーや阪神移籍後の宮崎前オーナー。お世話になった方々の姿が脳裏にあったのだろうが、それを、自分でもやってみたいと思うようになるのが金本らしい。

 「日本では、大企業の経営者にならないと球団も持てないんだろうけどね。ともかく、現役を引退したら一社会人。例えば企業家になっても超一流の、それこそ球団を持てるようでないと成功とはいえない」と話していたから、あながち夢物語に聞こえなかった。

 殿堂入りするほどの記録と成績を、どのようにして残したか。ひと言で尽くせるものでもないが、金本オーナーの誕生を想起させるだけの志向の高さと意志の強さが、希代の野球人を形作った元だと思っている。(敬称略)【元阪神担当=町田達彦】