南海、西武、大洋(現DeNA)で活躍した片平晋作(かたひら・しんさく)氏が22日午前9時58分、膵臓(すいぞう)がんのために死去した。68歳。西武球団が発表した。

 <片平さん悼む/森祗晶氏>

 ちょうど私が西武監督に就任した年(1986年)、シーズン前から大きな悩みを抱えていました。ドラフト会議で抽選の末、大物ルーキーの清原を獲得。監督として、彼をどう育てていくか。

 当時、同じ一塁手が片平だった。ベテランの域に達していたが、それでも前年打率3割を打っていた。ダイヤモンドグラブ賞(83年)にも輝いた名手で、簡単にポジションを奪うわけにはいかない。開幕戦(4月4日)は片平を先発一塁手で起用し、清原をベンチスタートさせ、競わせる形をとりました。

 彼の人柄を言葉で言い表せば、とにかく真面目。練習では一心不乱にバットを振っていた。彼のプライドでもあった。プロ意識の高い彼の姿を見せることで、清原だけでなく若手の良い手本、刺激になったはず。一塁は清原に明け渡し指名打者に回ったが、私は片平晋作というプレーヤーを高く評価していました。

 他球団を経て、再び西武に戻り、コーチをお願いした。指導者になっても、彼のスタイルは変わることなく、情熱を傾けて、取り組んでくれました。90年からリーグ5連覇した際は1軍打撃コーチ(94年は2軍)として、清原や鈴木健ら、野手の早出特打など、毎日汗を流していました。

 決して器用なタイプではないが、練習の積み重ねこそが彼の信じる道で、多くの選手を育ててくれた。常に、軸がブレない選手、コーチだった。一緒に戦ったメンバーであり、本当に残念でなりません。

(敬称略、日刊スポーツ評論家)