中日、阪神、楽天の監督を歴任し、今年1月4日に膵臓(すいぞう)がんのため70歳で死去した星野仙一氏のお別れの会が19日、東京・港区のグランドプリンスホテル新高輪で行われた。球界内外から3150人が集い、別れを惜しんだ。

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 がらんとした早朝の祭壇で、中日、阪神、楽天のユニホームを着た星野監督が人なつこく笑っていた。面白いものでも見つけたか。3枚ともいい写真で、目があった瞬間に涙が出た。

 会では三木谷会長兼オーナーが泣いた。野球界にとって新参者である三木谷浩史の志を認め、買ってくれた。感謝の涙だと思うと、そう驚かなかった。

 肩書に関係なく、星野監督と触れ合った誰もがもらった宝物がある。アイデンティティーを見抜き、存在価値を教えてくれた。

 会場のグランドプリンスホテル新高輪では、監督との思い出が2つある。

 11年12月1日、オーナー会議が行われている最中に電話がきた。「選手としてはもちろん、預かる以上は人間教育が何より大事だ。今のうちに決定的に足りない。私生活までしっかり目を配って『楽天の選手は人としても立派だ』と言われるように。寮長、職員、オレたちも。みんなでそんな組織をつくりたいんだ」。あふれる思いを伝えたいようで、一方的に終わった。

 15年10月22日、ドラフト会議の直前。通路でバッタリ会うと「コーヒー飲むぞ」とロープをまたぎ、喫茶店に飛び込んだ。「お前の新聞、ロッテは誰を1位に予想した?」と迫られた。「投手です」と答えると「ブブー。間違いです。オレの取材だとロッテは平沢。一騎打ちだ。お前らは取材のプロだ。しっかりせんと」とハッパをかけ「勝負してくる」と会場へ勇んだ。

 オレと向き合え。仕事から逃げるな。それが存在価値と教わった。

 殿堂パーティーと同じ会場で、ほとんど同じ出席者が悲しんだ。星野監督と別れる悲しさとは、アイデンティティーの喪失だと思う。ずっと泣いていたら怒られる。「自分とは」を探さなくては。【宮下敬至】