苦難の初勝利は格別だった。巨人のドラフト1位鍬原拓也投手(22)がプロ初勝利を挙げた。「日本生命セ・パ交流戦」ソフトバンク戦に先発。5回2/3を投げ4失点で待望の勝利球をつかんだ。過去2度の先発は白星には恵まれなかったが、阿部、岡本、坂本勇の本塁打攻勢で援護をもらい、力強い投球で強打の相手打線を押し切った。右肘痛での出遅れを取り戻し、刻んだ第1歩。ここからのし上がっていく。

 苦しんだ先に白星が待っていた。鍬原はウイニングボールを握りしめ「先輩たちが勝たせてくれた勝利と思っています」と笑みをこぼした。6回2死から1点差に迫られるソロを上林に被弾し、降板。「勝ち越してくれた6回を投げきらないと勝ち投手じゃないと思っていて、悔しかった。9回2死まで勝ち投手と知らなかった」と振り返った。

 右肘痛で新人合同自主トレ初日から出遅れ、本格的なブルペン投球にこぎつけた2月12日だった。3軍沖縄キャンプ中の宿舎への帰り道で、宮崎で行われていた1軍紅白戦で同期入団の新人5人が出場したことを知った。「今は野球が嫌いです。他人のことを気にしている余裕もない」。素直に喜べなかった。

 プロの重圧に心がつぶされそうになった。3月下旬に3軍で実戦復帰し、2軍昇格。4月26日、2軍のヤクルト戦で3回89球4四球と荒れた。「投げ方が分からなくなった」。原因は自身が勝手に背負い込んだ周囲の期待感だった。「代わりなんていくらでもいる。『これがドラ1か』と思った」。プロ入り後に変えたフォームを中大時の投げ方に戻した。だが、試行錯誤が実らず「投手をやめたい」と思った。

 立ち止まっても居場所はない。プロ入り後、初めて練習用の野球ノートを作った。内海、杉内とベテランに話を聞き、試そうと思ったことや課題を箇条書きして、1つ1つつぶした。同じように試合で取れるアウトも1つ1つ。5月の2軍戦、3戦で防御率は1点を切った。「結果が出ないとすぐ弱気になる。でも1人、また1人と抑えることが自信になる」。失意の2月から4カ月、帽子のつばには「力むな 強気」とかき込んだ。戦うための負けん気を取り戻し、1軍マウンドで思い切り腕を振った。

 今は「あの時期があったから、心も体も強くなった」と思える。「次はチームを勝たせる投球をしたい」。苦しんだドラ1が1歩目を踏み出した。【島根純】

 ◆鍬原拓也(くわはら・たくや)1996年(平8)3月26日、奈良県橿原市生まれ。小3から野球を始め、中学時代は橿原磯城シニアに所属し1学年下に巨人岡本。北陸高では1年夏からベンチ入りし、秋は県大会準優勝で北信越大会に出場。中大では3年時に先発へ転向し大学通算11勝。17年ドラフト1位で巨人入団。177センチ、76キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸1500万円。