巨人脇谷亮太内野手(36)が今季限りで現役を引退することが18日、分かった。近日中にも会見する。プロ13年目の今季は1軍昇格がなく、2軍調整が続いていた。06年に巨人に入団し、13年オフに片岡現2軍内野守備走塁コーチの人的補償で西武へ。15年に巨人にFA移籍で復帰した。球界史上唯一の「人的補償からFA復帰」を敢行した純なバットマンが去る。

脇谷に滴るものはなかった。ただただ一生懸命に、迷いなく突き進んだプロ野球人生に悔いはなかった。引き際を察したベテランは「やり残したことがあって涙を流す引退もあるけど。俺はやり尽くして、涙も流れない。やり切った」とすがすがしかった。

困難を乗り越えてきた。プロ6年目の11年に初の開幕スタメンに抜てきされた。しかし7月、ヤクルト戦の打撃時に右手有鉤(ゆうこう)骨を骨折。オフに痛めていた右ひじの靱帯(じんたい)再建手術を受けた。12年は育成契約でリハビリに専念。「時間を与えてくれた球団に感謝している」と1年で支配下選手復帰にこぎつけた。

勝負強い打撃が最大の魅力だった。西武との08年日本シリーズ第5戦で決勝打。09年クライマックス・シリーズ中日戦で代打決勝打、MVP。大きな舞台になるほど思い切りの良さが光った。松坂世代の1つ下の学年で、同世代のチームメートは少なかったが、温厚な性格で世代間のかけ橋役を買って出た。「こんな性格だからさ。上からも、下からもかわいがってもらった」。愛されキャラの象徴的な存在だった。

欲張らず、純粋に等身大を貫いた。06年に巨人に入団し、13年オフにFA加入した片岡現2軍コーチの人的補償で西武へ移籍。15年に自身が国内FA権を取得すると、同年オフに「プロに入るときもそうだし、一番、お世話になった。必要としてもらえるなら力になりたい」と“FA復帰”を決断した。人的補償からFA移籍は球史でも唯一の存在。最終戦は10月6日に宮崎で開催されるファーム選手権が有力だ。生まれ育った地元・九州で有終の美を飾る。

◆脇谷亮太(わきや・りょうた)1981年(昭56)11月4日、大分県生まれ。柳ケ浦2年夏に甲子園でベンチ入り。日本文理大では4年時に全日本大学選手権で優勝しMVP。NTT西日本を経て05年大学・社会人ドラフト5巡目で巨人入団。09年CSでMVP。10年にセ・リーグ記録の15試合連続得点。12年は右肘故障のため育成契約も13年に支配下復帰。13年オフ、片岡治大の巨人FA移籍に伴い人的補償で西武に移籍したが、15年オフにFAで巨人復帰。177センチ、77キロ。右投げ左打ち。今季推定年俸2000万円。