阪神矢野燿大2軍監督(49)が22日、指揮官1年目で阪神ファームを8年ぶりの優勝に導いた。大阪・桜宮高野球部時代にクリーンアップを組んでいた漫才コンビ「ケツカッチン」の高山トモヒロ(50)が矢野2軍監督を祝福し、高校時代の秘話を語った。

「彼は常に冷静。(矢野2軍監督は)キャプテンだったが、感情的に声を荒らげることは一切なかった。彼はプレーで常に(姿勢を)示していた」と振り返った。

外野手の高山が3番、矢野2軍監督は「4番捕手」。矢野氏は入学当初から頭角を現していた。「矢野がおるから、(捕手では)2年後にレギュラーなられへんな-と、コンバートした同級生もいました」。一方で、偉ぶることはなく、チームメートにとけ込んでもいた。

高山は88年、漫才コンビ「ベイブルース」を結成。「第2のダウンタウン」と将来を嘱望されながら、同校野球部の同級生だった相方の故河本栄得氏(享年25)が急死した。その河本氏とは、当時の野球部伝統、通称「芸大会」が、結成のきっかけになった。

「雨が降った時は、練習が短く、上級生から『何か芸できるやつおるか』って1年が呼ばれて、よく河本君と組んで、先輩のものまねなどをしていました」

この経験が、2人をお笑いの道に進ませた。それを矢野2軍監督は「ゲラゲラ笑っていました。矢野はしませんでしたね」と振り返る。

今季、「超積極野球」を掲げ、チームを率いた矢野2軍監督。高校時代からそうだった。「左前安打で、ちょっとファンブルしている間に二塁に進んだり。まじめやから『次の塁を盗みなさい』という監督の言葉を実践できる選手だった」。矢野2軍監督とは現在も、高山のラジオにゲスト出演したり、同級生らと新年会を開いたりと親交を深めている。

「毎年、当時のことを振り返って、おんなじ話しで盛り上がっています。今度の新年会も楽しみです」。同級生の応援を力に、次はファーム日本選手権制覇へ。来年の新年会は、日本一のお祝いも兼ねて盛り上がりたい。【鶴屋健太】

◆高山トモヒロ(本名・高山知浩)1968年(昭43)7月10日、大阪府生まれ。88年、故河本栄得さんと漫才コンビを組み、「ベイブルース」として、若手の登竜門ABCお笑い新人グランプリなどを受賞したが、94年10月に河本氏が急死。01年9月に和泉修と「ケツカッチン」を組んだ。また12年に、芸人仲間と草野球チーム「桜宮」を結成し、自身は監督として部員41人を率いる。血液型A。