巨人山口鉄也投手(34)が現役を引退することが4日、分かった。

高校卒業後、大リーグのダイヤモンドバックス傘下のマイナーでプレー。05年育成ドラフトで巨人に入団した。07年に支配下登録され、08年からプロ野球記録の9年連続60試合登板を達成。07~09年、12~14年と2度の3連覇に貢献したが、今季は度重なる故障で1軍登板はなかった。近日中に会見が開かれる予定で、「育成の星」と呼ばれた鉄腕が、マウンドに別れを告げる。

山口鉄が自らの野球道を貫き、ユニホームを脱ぐことを決断した。チームの勝利のために、黙々と投げ続けたプロ野球人生。「そこに後悔はないです」と言ったが、「チームのみんなと野球ができないことが寂しいです」と吐露。「それとやっぱり…」。毎年自主トレをともにし、師匠と慕い続ける「ピッチャー内海に代わりまして、山口鉄也」のコールが聞けないことに寂しさを覚えた。

プロ13年間、マウンドに立ち続けた。周囲から勤続疲労を心配される中、かつて、山口鉄はこう言った。「マグロって、泳ぎ続けないと死ぬとかって言うじゃないですか。僕も、そう。投げてないと不安なんです」。今季は1軍デビューした07年以降、自身初の1軍登板なしに終わった。自らの引き際を悟った。

どん底からはい上がって、巨人で夢をかなえた。高校卒業後、ダイヤモンドバックス傘下のマイナーで4年間プレーした。メジャー昇格の夢かなわず、日本に帰国。横浜(現DeNA)、楽天の入団テストに落ち、「これが最後」と受けた巨人に合格し、育成選手で入団した。「拾ってくれた」と恩義は強く、いつも感謝の思いを白球に込めた。

幾度となく、その左腕でチームを救った。08年からはセットアッパーを任され、越智、クルーンと勝利の方程式を形成。継続しての活躍が難しいとされるリリーフで、12年からは西村、マシソンとともに「スコット鉄太朗」を形成するなど、2度のリーグ3連覇に大きく貢献した。

新人王を始め、最優秀中継ぎ投手を3度、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で世界一を達成するなど、数々の勲章が山口鉄の野球人生の輝きを物語った。山口鉄は言った。「どれも周りの方のおかげ。1つ1つの出会いに恵まれ、今があります。監督、コーチ、選手、友人、家族。本当に感謝しています」。球界屈指の鉄腕は仲間を愛し、愛された野球人だった。