今年は10月11日に運命のドラフト会議が行われる。悲喜こもごも…数々のドラマを生んできた同会議だが、過去の名場面を「ドラフト回顧録」と題し、当時のドラフト翌日付の紙面から振り返る。

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<10年10月29日付、日刊スポーツ紙面掲載>

佑ちゃんが北の大地に渡る。プロ野球ドラフト会議が28日、都内のホテルで開催され、4球団が競合した早大・斎藤佑樹投手(4年=早実)の交渉権を日本ハムが獲得した。背番号は「18」を提示するとみられ、梨田監督は1軍キャンプ帯同、開幕1軍の構想を披露した。日本ハムはダルビッシュや06年夏の甲子園で対戦した中田も在籍。ダルビッシュ-斎藤の夢ローテーションが実現すれば、大きな話題を呼びそうだ。

分厚いカーテンが張られた早大・安部寮の1階から、歓声がわき起こる。横浜から4球団連続の大石指名の後、「ヤクルト斎藤佑樹」「日本ハム斎藤佑樹」と続いた。「おーっ」「おーっ!」と漏れ聞こえる声が大きくなった。さらにロッテにソフトバンク。当初の予想を上回る4球団の競合だった。

注目の抽選。斎藤は大石らと、大画面に見入った。日本ハムが引き当てると、叫び続け、興奮する選手たちに一瞬の静寂があった。チームメートも予想外の展開だったのか。斎藤の天命は、日本ハムだった。

斎藤 複数の球団から高い評価をいただき、その中で日本ハムファイターズの指名を受けたことについては、心から感謝しています。今は早稲田大学の主将として、この週末の早慶戦を全力で戦うことが、学生野球に対する恩返しだと考えています。

球団は、今年1年間空き番号にしていたエース番号「18」を提示するとみられる。梨田監督は、順当なら1軍キャンプ帯同、開幕1軍入りを示唆した。ダルビッシュ、中田との競演。パ・リーグだから、楽天田中との投げ合いも実現する。

斎藤にとっては、異例ずくめのドラフト当日だった。早慶戦に集中するという早大・応武監督の意向で、斎藤、大石、福井の3選手の会見は行わず、各選手のコメントだけを発表した。報道陣との接触を遮断するため、大フィーバーで入学した1年時以来となる、3人の警備員を配置。総勢10人以上に守られた。

午後1時51分、斎藤らがグラウンドに移動する際には、関係者が先導。斎藤は笑みを浮かべ、関係者らに一礼してグラウンドに入った。ドラフト10分前の午後4時50分、練習を終え、寮に向かう時には警視庁からも3人が出動。パトカーが巡回する異様な雰囲気。練習開始時に約30人だった報道陣は、約80人に増えた。寮の玄関には普段はない分厚い遮光カーテンが張られ、警備員が立ち続けた。

日本ハムは斎藤の両親と応武監督が21日から2日間で行った面談で、12球団のトップバッターとして登場した縁があった。早大OBの大渕スカウトディレクターがレジュメを用意し、監督やスタッフの交代に左右されない育成方針や、活動指針を説明。斎藤の両親は感銘を受けていた。

同一大学から3投手がドラフト1位指名を受けるのは史上初の快挙。斎藤は「リーグ戦終了後、これまで応援して下さった皆さんの前で、あらためてごあいさつさせていただきたいと思います」とコメントした。30日からの早慶戦終了後に、球団側からあいさつを受ける。早大主将として、すべての公式行事を終えた後、北の大地に渡る準備に入る。

 

※記録と表記などは当時のもの