阪神第34代監督に就任した矢野新監督に迫る「矢野という男」連載。第3回は矢野新監督の大学時代に迫ります。東北福祉大時代の後輩である日刊スポーツ評論家の浜名千広氏(48)が、たっぷりと語ってくれました。

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矢野(新監督)さんは、東北福祉大時代に1つ上の先輩として、一緒に野球をさせてもらいました。私がレギュラーになった2年時には、捕手としてバリバリの中心選手。多くのことを学ばせてもらいました。

今でも頭から離れないシーンがあります。1990年(平2)、私が3年春の大学野球選手権。悲願の初優勝を狙ったんですが、惜しくも準優勝に終わりました。当時の主将が矢野さんでした。優勝を逃した翌日、地元仙台に戻って打ち上げをしたんですが、矢野さん1人、大泣きしてました。「自分のせいで負けた」と。

当時は今と違って、先輩後輩の関係も厳しく、酒の席ともなれば、先輩から後輩に酒を飲ませることが当たり前のような時代。そのなか、矢野さんは、先輩後輩関係なく、1人1人自ら酒をついで回って、こう話していました。「すまんな。オレのせいで優勝できなくて」。もちろん、1つ下の私にも同じ言葉をかけてくれました。主将としての責任を最後まで感じていたんだと思います。矢野さんらしいなと思ってます。

亡くなられましたが、東北福祉大の伊藤(義博、享年56)監督の教えも、矢野さんはしっかり受け継いでいると思います。「相手をやじるな」「審判への不平不満は言うな」。そんな伊藤監督の厳しさも実践してました。先輩だからといって、主将だからと言って、決して「上から目線」の言い方もしませんでした。一緒に過ごした3年間、矢野さんから怒られたこともなかったし、怒っているところを見たこともありません。グラウンドでも、グラウンド外でもクールな人でした。主将として、言葉や態度でグイグイ引っ張っていくことはせず、黙ってみんなを引っ張っていくような人でした。

矢野さんとは、筑後(福岡県)でのウエスタン・リーグでテレビ解説をした時、何度か話をする機会はありました。阪神2軍監督として頑張っているという印象はありました。金本前監督同様、東北福祉大で野球をした先輩です。金本さんが残念だった分、矢野さんには頑張ってほしい気持ちは強いです。大学時代のように、選手をうまく乗せて使っていくんじゃないでしょうか。選手のことを一番に考える人です。チームをいい方向にもっていってほしいです。

◆浜名千広(はまな・ちひろ)1969年(昭44)11月11日生まれ。京都府出身。国士舘高を経て東北福祉大へ。右投げ左打ちの俊足好打の遊撃手として、4年時の全日本大学選手権でチーム初優勝に貢献。91年ドラフト3位でダイエー(現ソフトバンク)に入団。1年目からレギュラーで、イケメンでもありファン投票で球宴に選ばれた。99年ダイエー初優勝時の選手会長。ヤクルト、ロッテと移籍し04年に引退。現在は日刊スポーツ評論家。