ゴジラに並んだ。岡本が日米野球の日本代表で史上2番目の若さで4番に座った。22歳シーズンで侍の4番を任されたのは96年松井(MLB選抜一塁ベースコーチ)以来、21歳の88年清原に次ぐ年少記録だ。2戦連発こそ逃したが、1安打。「これだけすごい人の中でやらせてもらって経験になる」と堂々と役目を終えた。前日14日の第5戦でバックスクリーンへ特大のソロを放ち、この座をつかんだ。稲葉監督は「もう少し早めに試す予定ではいたんですけど、試せる時が来ました」と大役を託した。

相手選手の心も動かした。試合前、16年オフのプエルトリコのウインター・リーグで同僚だったヘルナンデスとバットを交換。バットには「To my friend OKAMOTO.Keep a King.(わが友、岡本へ。王者で居続けろ)」とのメッセージが記されていた。当時は「ベイビー」と呼ばれたが今や「キング」。試合後にはユニホーム交換も果たした。「対応力、判断力を付けていかないと」と課題を見つけた大会となった。