ソフトバンク王貞治球団会長(78)が18日、都内の日本記者クラブで会見。「平成とは何だったのか」というテーマで語った。

ダイエー監督時代の「生卵事件」や00年日本シリーズの「ON対決」、WBC優勝などを振り返った。大リーグについても語り、エンゼルス大谷には「打者専念」を勧めた。

-ダイエー監督時代の96年5月には成績不振で、ファンから生卵をぶつけられる事件もあった

あの時は「卵をぶつけられるような野球をやっているのは俺たちなんだ。だからこそ、ぶつけられないようにしよう。あの連中に喜んでもらおうよ」という話を選手たちにしました。我々にとってはいい刺激になったと思います。

-そこから99年初のリーグ優勝、日本一に

勝った後の感激というか充実感というか、それまでは勝とうが負けようが「1試合終わった」という感じだったと思うんですけど、少しずつ選手たちが変わってくれたと思います。

-00年日本シリーズでは長嶋監督率いる巨人と「ON対決」

2000年という区切りの年に、神様も味なことやるなと。長嶋さんとの初めてで、結果的には最後の戦いだったんですけど。私は常に弟分でしたから。弟としては何とかして兄貴を超えたいという気持ちはありますよね。長嶋さんと日本一を戦えた2000年は私にとっても特別な年だなと、今になっても思います。

-長嶋氏は昨年末に退院していた

ニュースで拝見して、良かったなと思います。長嶋さんはとにかく特別な存在です。元気で輝いていてほしい人。私は16年間「ON」という形で野球をやってきました。長嶋さんにはぜひ、春から夏にかけてはまた元気な姿を出して球場に来てほしい。野球ファンだけでなくてほとんどの人が待ち望んでいると思う。じっくり体調を治してほしいと思います。

-06年の第1回WBCでは日本代表を率いて優勝

みんなが日の丸を付けて勝つということに向かっていった選手たちの姿は本当に頼もしかったですね。日の丸を付けて野球をやったのは初めてだったんですけど、ものすごくパワーをもらう。20年にオリンピックがありますけど、日本の開催ですからすごいパワーを感じるんじゃないかな。そう思いましたね。

-平成に入り野茂投手が道を切り開き、大リーグに行く日本人が増えた。王会長が今、現役なら挑戦していたか

我々の時代は道が閉ざされていたので、考えたことがなかったんですが。(日米野球で)一緒にやった連中からは「お前、来いよ」という声はよくかけられました。自分の中でもある程度やれるという気持ちはあった。日本と同じような本数を打つことはできなかったと思いますが、速い球が得意なバッターでしたから。日米野球でも結果を出してそれなりの手ごたえはありました。「そこに山があったら登りたい」というのと一緒で、多分チャレンジはしていると思います。

-現代の野球について

ピッチャーの方は何とか工夫して打たせまいとしますし、バッターも何とかして打とうとする。我々のやっていた頃の野球とはずいぶん変わっていますね。あの当時は幼稚な野球だった。今、考えればね。戦前の野球から、戦後の野球から、我々の時代から。変化というか進化していますよね。

-エンゼルス大谷について

ピッチャーとしてもメジャーで堂々と投げて、バッターでもやれる。そんな選手、今まで見たことないですよね。大谷くんは自分の技術で周りを黙らせた。故障が常につきまとうのはピッチャーですよ。彼の勇姿を少しでも長く見たいとなれば、バッターの方がメジャーの打席に立つ期間が長いのは当然ですよね。マウンドでもすばらしいですよ、もちろん。私は彼が1年でも長くメジャーでプレーしてもらいたいと思っているので、彼がバッターに専念してくれたらいいな、とは思っています。