巨人前監督の高橋由伸氏(43)が19日、TOKYO FMのスポーツ×音楽プログラム「TOYOTA Athlete Beat」に出演し、選手、監督として巨人で過ごした21年間を振り返った。

監督としての3年間を終え「正直本当に疲れました。まだ疲れが抜けない。まだ実感が湧かないですが、2月1日になってもキャンプ地に行かないので、実感が湧くかもしれない」。選手として18年間、監督して3年間、巨人のユニホームを着続けた。「初めてユニホームを着ない1年。不安というか想像つかないですね。同じ位置から野球を見てきたので、視野を広げて野球を見てみたい」。

監督としての3年間は1度も優勝することができなかった。監督再登板については「負けて終わってしまった。負けたままでは終わりたくない」と言った。

現役時代は「天才」と称された。

「天才というのは受け止めにくい言葉」と笑いながら「プロの世界は才能のある選手ばかり。才能をどう生かすかがプロは大事」。巨人入団時は、チームメートに衝撃を受けた。「キャンプに行ったときは大丈夫かなと思いました。松井さん、清原さん、広沢さん、各球団の4番がいた。体も大きいし飛距離は勝てない。でもキャンプをやっていくうちに、違うところで特徴を出せば何とかなるんじゃないかと思いました」。

右翼の守備でダイビングキャッチを試みるなど、現役時代は度重なるケガに苦しんだ。

「ケガをしないというのも一流選手の条件。体の強さが足らなかった。(ダイブは)怖さも正直あるけど自分が止まらなくなる。プロは1年間戦うので、語弊があるかもしれないけど、引く勇気を出すことも大事」。

現役続行を予定していた15年オフに監督就任のオファーを受けた。「聞いたのは原監督が退任されて2日後か3日後。最初はまさかと思いながら、途中からもしかしたらと思って、電話がかかってきた時にやっぱりかなと思った」。

監督業のイメージは「まったくなかった」と言いながら「求められるところで仕事ができるのは幸せなこと。選手もまだ出来たかもしれないけど、球団が監督として、ということだったので応えたかった。(監督は)思ったより大変でした。いい経験をさせてもらいました。やった人にしか分からない」。

野球を志す子どもたちに向けては「子供の時はどれだけ振れるかが大事。しっかり振って、遠くに飛ばすこと。僕は長いバットを振った。自分で今のスイングが一番飛ぶとか、気付くことが大事」とアドバイスを送った。