「武将」巨人菅野智之投手(29)が「大将」原辰徳監督(60)への貢献を誓った。昨季は最多勝、最優秀防御率、最多奪三振に輝き、2年連続の沢村賞に選出された。エースとして大活躍したがチームは4年連続で優勝を逃した。ハワイ自主トレを精力的にこなし、4年ぶりに復帰した原監督を男にすべく「天下統一」に向け腕を振り抜く。

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ハワイの青空の下、プロ野球界で無双状態に入った菅野は、決戦の時に向けて心身の準備を進めている。優勝から4年間遠ざかる巨人。原監督が新春に「その心境は、なかなか我々にはできない」と語った、徳川家康を表現した句「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」。優勝に飢えた菅野も、同じ気持ちだった。

菅野 僕もその思いは共感しました。家康は素晴らしい武将ですが、僕は待たずに自分から動いていきます。

昨季は2年連続の沢村賞を獲得するなど、投手3冠に輝いた。群雄割拠のプロ野球界で、最も“天下”に近いと言っていい存在。歴史上の人物に生まれ変わるとするならば、1人の戦国武将の名前を挙げた。

菅野 真田幸村ですかね。自らも戦場で活躍するとともに戦の戦略にもたけた武将なので、本当にすごいなと思います。

真田幸村は豊臣秀吉らに仕え、大坂夏の陣では徳川家康と勇敢に戦った武将として知られる。歴史に残る武将だが、球界NO・1投手の答えとしては少し意外な響きだ。「武将なら、家康や秀吉ではないのか?」。菅野は間髪入れず「家康とか秀吉とかは、原監督のような方のイメージです」と言った。

「だからね、僕は思うんです」。ファンタジーな話題に笑顔を見せていたが、真顔になって今の巨人と重ね合わせた。「優勝できなかった4年間は個人的な数字は良かったかもしれませんが、今振り返れば、どこか淡々としていたように感じます」と反省し、真田幸村の話に戻った。

菅野 僕たちが選手である以上、大将(監督)のために、というのは当然。そういう意味で、真田幸村はピッタリとはまる。大将を先頭にベクトルを合わせ、同じ方向に向かっていけるかが大事だと思います。

個人の成績だけではなく、チームとして結果を出す。「それと、もう1人すごい武将がいます」。話は徳川四天王の1人とされる本多忠勝に移った。彼もまた、徳川家康の天下統一のために尽くした武将だった。「戦で1度も傷を負ったことがなかったのに、小刀で彫り物をしている時に手を切って、死期を悟ったと。すごい話だと思った」。無敵だった男の最期に心を揺さぶられるとともに、生き様にも共感した。

57回の戦でかすり傷ひとつ負わなかった伝説の武将のように、開幕投手に内定する菅野もさらなる高みを目指す。勝負する上では、「刺激」を1番に求める。「刺激を感じられるかが何よりも大事。それには、やっぱり勝つこと」と語気を強めた。この日は、ウエートトレーニング、ダッシュなど約4時間の練習。真田幸村を「真田十勇士」が支えたとされるように、菅野は後輩の宮国、中川、桜井とともに汗を流した。プロ野球界の天下統一に向け、温暖なハワイの地で刀を研ぐ。

◆本多忠勝 1548年(天文17)生まれの戦国武将。幼少期から徳川家康に仕え「徳川四天王」「徳川十六神将」「徳川三傑」と称されるほど重要な存在となった。生涯で参加した合戦は大小を合わせて57回。いずれの戦いにおいてもかすり傷一つ負わなかった武勇伝を持つ。享年63歳。

◆真田幸村 1567年(永禄10)生まれの戦国武将。本名は信繁(のぶしげ)。1600年(慶長5)関ケ原の戦いで、徳川秀忠率いる東軍の主力部隊を上田城で迎え撃ち、苦戦させた西軍の功労者。1615年(慶長20)大坂夏の陣で徳川家康軍の本陣に突撃し家康を追い詰めたが、戦死した。享年48歳。