阪神ドラフト1位の近本光司外野手(24=大阪ガス)が19日、現役時代に「牛若丸」と称された85年の日本一監督、吉田義男氏(85=日刊スポーツ客員評論家)に弟子入りを志願した。

関西学院大時代にフランス語を学んだ際、代表監督を務めるなどフランス野球の発展に力を注いでいた吉田氏の功績に注目。ムッシュが沖縄・宜野座キャンプを視察した際には、すべてを貪欲に学ぶ意気込みだ。

ムッシュ。近本は学生時代にリポートを書いた名前を思い起こし、懐かしそうに言った。

「吉田義男さんは、大学時代の調べ物で(名前が)よく出てきた。フランスで(野球の)代表監督をされていましたので。(大学で自分が)勉強していたのがフランス語でした」

関西学院大の講義でフランス文化を学ぶうちに、西欧スポーツの現状に興味を持った。「フランスのスポーツを調べていくと、野球の文化がまだ発展していなかった。そこで、調べていくと吉田義男さんが野球を発展させておられた」。

吉田氏は現役時代、華麗なグラブさばきで「牛若丸」と称され、85年には監督として阪神を日本一に導いた。その後、89年から96年までは、フランスで代表監督を務めた。「そういう意味では僕の中で近い存在ですね、吉田義男さんは。一方的な、僕の思いですけど」。近本にとって吉田氏は書物の中のあこがれの偉人。縁あって阪神に入団し、対面のチャンスが訪れた。

近本はキャンプ1軍発進が内定。吉田氏も沖縄・宜野座キャンプの視察を予定している。ポジションは内外野で違うが、守備の極意を教わりつつ、フランスで取り組んだ野球振興の話題にも触れたい。ムッシュとの対面で貪欲に吸収する意気込みだ。

一時代を築いたOBへの敬意は大きい。球団寮の虎風荘には村山実、江夏豊、掛布雅之らの「レジェンド写真」が展示してある。その中でも、注視した1枚があるという。「(62年に)優勝した時に鎌田実さんの名前が入っていて…。淡路で有名なだけでなくて、優勝チームの一員になっていたんだなと」。バックトスの名手だった淡路島のヒーローは、虎のV戦士でもあった。新たな発見を刻み、プロの世界へ。レジェンドに学び、力をつけていく。【真柴健】

 

◆吉田氏とフランス 知人の紹介がきっかけとなり、89年から95年まで7シーズン野球のフランス代表監督を務め、91、93年の欧州選手権で同代表を4位に導いた。発展途上だった欧州での野球の普及に尽力した貢献が評価され、11年7月にフランス野球・ソフトボール連盟の名誉会員に選出された。同連盟の名誉会員は7人目だが日本人の名誉会員は初めて。14年に同連盟が主催の国際大会を創設した際は吉田の貢献度に敬意を込めて、「フランス国際野球大会 吉田チャレンジ」と命名された。また、吉田は11年に国際野球連盟の五輪復帰委員会の委員も任命され、夏季五輪での野球・ソフトボール競技の復活にも尽力している。