日本ハム白村明弘投手(27)が19日、野手へ転向した。前日18日に2軍キャンプ地の沖縄・国頭で栗山英樹監督(57)らと話し合い、再出発を決断。この日から野手組に振り分けられ、打撃練習を始めた。球団はドラフト指名時から高い身体能力を評価し、野手としての可能性も見据えていた。投手として伸び悩んでいた6年目右腕が、大胆なコンバートをきっかけに、発揮できていない潜在能力の開花に挑む。

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練習スケジュールが記された用紙に、大きな決断が刻まれていた。白村の名前は投手組になかった。プロ6年目の春、野手転向に踏み切った。「昨日、監督とGMから話があって、今日から野手の練習をやらせてもらっています」。前日18日に2軍キャンプを視察した栗山監督と吉村GMから、野手転向を提案された。突然の打診に驚いたが、指揮官の言葉が心に響いた。

白村 監督から『お前の将来を考えている、ポテンシャルを評価している』と言ってもらった。素直にうれしかった。その気持ちに応えようとしか思わなかった。野球がやれるなら、頑張れるなら、どこでもいい。だからもう、投手に未練はないです。

伸び悩んでいた。中継ぎとして2年目の15年には50試合登板も、翌年以降は売りの150キロを超える剛速球が鳴りをひそめた。17年には先発も経験。首脳陣も能力を引き出そうと試行錯誤してきたが、昨季の1軍登板は3試合に終わった。

中学3年の夏までは野手だった。主に中堅を守り、遊撃手としてもプレー。パワーとスピードを兼ね備え、2試合連続で“ランニング本塁打”を放ったこともある。ただ2試合とも前の走者を追い抜いてアウトになったというオチも付いたが、並外れた運動能力を球団もかねて高く評価。入団時から野手としての可能性も視野に入れていた。

1回無失点に抑えた16日の紅白戦(国頭)から間もない打診を、栗山監督は「野球の神様が、このタイミングですと言った」と説明。「がむしゃらに何も考えないで、ボールを追っかけて、バットを思い切り振って、骨の髄から汗をかく。何か生まれると信じているので、そうしなさいと伝えた」と期待した。

白村は早速、バットを握った。国頭の室内練習場で打撃練習を始めた。育成選手の海老原のバットを借り、今季限りで現役引退する田中賢からもバットと革手袋をもらった。「簡単ではないし、自分の努力次第で変わってくる。心機一転じゃないけど、自分の頑張り次第で、これから世界が変わっていくと思う」。守備位置はこれから。まずはバットを振り込む。一心不乱に野球に打ち込み、生まれ変わる白村の姿を、みんなが期待している。【木下大輔】

 

◆白村明弘(はくむら・あきひろ)1991年(平3)12月11日、岐阜県生まれ。慶応高、慶応大を経て13年ドラフト6位で日本ハム入団。14年6月27日楽天戦でプロ初登板、同年10月5日同戦で初勝利。187センチ、87キロ。右投げ左打ち。