サクラが咲いた。日本最難関の東大で10日、今年の入学試験合格者が発表された。創部100周年の野球部にも早速、7人の入部希望者が現れた。この日時点で、さらに3人の入部希望が見込まれており、例年ペースなら20人以上は入部しそうだ。現在の部員は80人のため、東大野球部史上初めて100人を超える可能性が高い。分母増は戦力アップにつながる。東京6大学リーグ最下位脱出へ、将来を担う新戦力が加わる。

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本郷キャンパスに向かう地下鉄南北線の中で、井上遼太郎(18)の鼓動は速まった。「大丈夫」。自信はある。が、のどが渇くのは花粉症のせいではないだろう。正午。運命の瞬間。スマホで合格者発表のページにアクセス。あった! 理科2類に現役合格した。両親と落ち合い、掲示板でも確認した。その足で野球部に入部希望を伝えた。

野球を全力でやるのは高校までのつもりだった。筑波大駒場では中堅レギュラーで4番。副将も担った。歯車が狂ったのは昨年5月末。最後の夏に向け、練習に打ち込んでいた時だ。左足で右足スパイクのヒモを踏んづけ、右足首をひねった。激痛が走ったが、捻挫ぐらいに思っていた。ところが、骨折の診断。前から痛めていて、折れやすくなっていたらしい。衝撃は、続けて放たれた医師の一言で走った。「夏の大会は諦めなさい」。涙が落ちた。

「その時です。東大に行って野球を続けようと思いました」

もともと東大志望ではあった。屈指の進学校。1学年約160人のうち半数は東大に進むのだから、自然ではある。決してガリ勉ではない。放課後は午後3時から5時、6時まで野球に打ち込んだ。週末は練習試合が続く。ただ、練習後は塾で問題を解きまくった。学校の休み時間も勉強にあてた。センター試験は950点満点で929点。小学校の3年間、父の仕事でシンガポールに住んだ。インターナショナルスクールで身につけた英語と、物理は満点。数学は1問、間違っただけ。「野球か、勉強か」の高校生活の成果が出た。

真剣だったから、結末に納得できなかった。最後の夏は背番号8の一塁コーチ。プレーはできなくても、一緒に戦った。しかし、西東京大会初戦で7回コールド負け。最後の打者が打ち取られるのをコーチスボックスで見届けたが「何が起きたのか分かりませんでした」。頭は理解しても、心が追い付かなかった。恩師への申し訳なさが募る。昨年4月に就任した朝木秀樹監督(56)は東大OB。東大史上、唯一、リーグ戦で満塁本塁打を放った選手だ。「監督1年目の時に、僕がケガで迷惑をかけた。だから、東大で野球の技術を上げて、いつか母校に恩返ししたい」。将来は生物学の研究者志望。そして、何らかの形で筑波大駒場野球部に関わりたい。既にトレーニングを再開。1日6キロのランニングと、素振り300~500回を重ねる。

合格発表後、都内の球場に向かった。後輩たちが浜松北(静岡)と練習試合に臨んでいた。26点を追う9回表、先頭打者の四球から2死二、三塁を作ったが、後が続かない。1-27の惨敗を厳しい顔で見つめた。

「失って、やっと大切なものが分かる。精いっぱい練習したつもりだけど、夏の大会に出られないと言われ、もっと、ああしとけば良かった、自分には野球が大切なんだと分かりました。大学では、もうそんな後悔はしたくありません」

そのまま、後輩たちに贈るメッセージでもある。(敬称略)【古川真弥】

筑波大駒場・朝木監督 井上はムードーメーカー。夏に期待してましたが、かわいそうでした。大学で悔しさを晴らして欲しい。