諦めきれなかった野球を仕事に選んだかいがあった。DeNAドラフト3位大貫晋一投手(25)が5回100球を投げ、5安打1失点でプロ初勝利を挙げた。中学、高校、大学と表舞台に縁がなかった苦労人。初めて立つ甲子園のマウンドで、プロとしての第1歩を踏み出した。

   ◇   ◇   ◇

日体大4年時は、リクルートスーツを着ていた。製薬会社の営業職に内定をもらっていた大貫が、DeNAのユニホームを着て、甲子園でヒーローインタビューを受けた。「ここまで面倒を見てくれて、支えてくれた方に感謝したい」とウイニングボールを握りしめた。

最大のピンチは初回。2死満塁としたが、中谷を宝刀ツーシームで片付けると波に乗った。1発を許した大山と5回1死一塁で再戦。「ターニングポイントだと思った」とフォークで難をしのぎ、2度目の登板で5回1失点で白星を手にした。

DeNAの地元・横浜で育った。背泳ぎで選手コースだった水泳を辞め、野球を始めた。それでも、青葉シニア時代はメンバー外。静岡の桐陽高時代も県ベスト8が最高成績。「中学も投げた記憶がほとんどない。大学も右肘のトミー・ジョン手術して2年投げていません。プロなんて縁ないと思っていました」と言う。

日体大では保健体育の教員免許を取得し「サラリーマンになると思っていた」と何度も就活生と一緒に合同セミナーに通った。それでも「野球が好きだった」。だが、現実は厳しかった。社会人野球で再スタートを志したが、硬式どころか、軟式のチームにも断られたことがあった。巡り巡って入社した新日鉄住金鹿島でつかんだプロへの道。「諦めなくて良かった」とかみしめる。

03年に夏の甲子園を見に行った。当時の小泉首相が開会式で始球式を務め、厳かな雰囲気の中で9歳だった大貫少年は「寝ていました」。記憶になかった聖地のマウンドで、節目となる1勝をマーク。友人から「まだ野球やっていたの?」と言われ続けた男が「DeNA大貫」として憧れの道を歩み始めた。【栗田尚樹】