元プロ野球オリックスの佐藤世那投手(22=仙台育英卒)が12日、プロ球界復帰を目指し、右肘手術を含めた完全治癒に専念する決意を明かした。

現在は横浜球友クラブ(神奈川)でプレーしているが、今春の都市対抗や全日本クラブ選手権の予選後に決断。「高校の頃からずっと肘に不安があって、プロでも痛みを抱えながら投げていたので、治療に専念しようというのがあった。一番良い状態に戻したい」。最速でも145キロ前後の直球にもどかしさも感じ、来春の完全復活に挑む。

プロでは1軍出場を果たせなかった。首脳陣の指導でサイド転向を模索したこともあったが、昨年10月に戦力外通告。トライアウトにも参加したが、3年間のプロ生活に区切りをつけざるを得なかった。「自分の実力がなかったということなので、仕方がないこと。悔しい思いをしたぶん、見返してやりたいという思いだけ。ターニングポイントというか通過点。僕が一番悲しくて悔しい思いになる時は、あの時ではなくて、プロに戻れなくて現役を辞める時。それが一番ショックな日になる」。反骨心が最大の原動力だ。

仙台育英の恩師・佐々木順一朗監督(59=現学法石川監督)の新たな挑戦にも刺激を受けている。「高校はどこであれ、監督として戻ってくれてうれしかった。育英も応援していますけれど、自分も学石のOBになったくらいのつもり。結果も真っ先にチェックしちゃっています」。

進学していれば大学4年生世代。高校日本代表時代に仲間だった森下暢仁投手(明大4年)らが今秋のドラフト1位候補であることを考えれば、焦りはない。「プロに戻るには、ちゃんと1軍で活躍する戦力にならないといけない。通用するレベルにもっていきたいのが僕の思い」。140キロ超のフォークに、150キロ前後の剛速球が理想型。世那の野球人生には、まだまだ続きがある。

◆佐藤世那(さとう・せな)1997年(平9)6月2日生まれ、仙台市出身。南光台東小2年時から野球を開始。秀光中(宮城)軟式野球部に所属し、U15日本代表としてアジア選手権準V。仙台育英では、3年夏の甲子園で準優勝。同期はロッテ平沢大河内野手、慶大・郡司裕也捕手ら。U18W杯でもエース格として準Vに貢献。15年ドラフト6位でオリックス入団して背番号67。2軍通算32試合登板で8勝5敗。横浜球友クラブでは背番号18。181センチ、84キロ。右投げ右打ち。家族は両親と弟令央(城西国際大2年)。