大きな背中が少し小さくなった。小さな背中が少し大きくなった。巨人阿部慎之助捕手(40)と坂本勇人内野手(30)。10歳差の新旧キャプテンが語り合った。阿部は任期8年でリーグ3連覇を2度達成。15年から重いバトンを託された坂本勇は、4年連続のV逸にもがき、ようやくキャプテンとして初優勝にたどり着いた。常勝を義務付けられた巨人軍の、ど真ん中を歩む者にしか分からない苦悩と誇り-。「最後の引き継ぎミーティング」を特別対談として記す。【取材、構成・為田聡史、久保賢吾】

 

胸を張って、すべてを受け止めてきた。坂本勇がキャプテンを引き継いで5年。ついに、覇者に返り咲いた。

阿部 勝つまでが長かった。5年…、5年でいろんなことがあった。

坂本勇 優勝を目前にしたときに、その瞬間を想像しただけで、湧き上がるものがあった。絶対に泣かないようにしようと思っていた。たぶん泣いてしまうと思うけど…。

阿部 キャプテンという立場で優勝できた勇人は、格別な思いだと思うよ。必死にやって「よっしゃ~! 優勝できた」の若い頃とは違う。

クールな坂本勇が、決まる前から感極まると言う。阿部が8年も背負っていた重みだ。

坂本勇 今年もシーズン途中に「このままじゃ優勝できないな」とか「このチームじゃ優勝できない」って思ったことはあった。それが、4年間続いていた。キャプテンになったときに、プロだから個人個人がきちっとやってくれると思っていたけど、そんなに簡単なものじゃないと初めて分かった。勝つことの難しさ。いい経験をさせてもらっている。

前キャプテンは特別な目で見守ってきた。

阿部 「勝たせてあげたいな」は常にあった。勇人自身は数字を残して引っ張っているけど、やっぱりチームだから。チームとして勝つことは難しい。もちろん、自分の成績を残すのはもっと難しい。「ダメかな」と思ったこととかが、来年以降にもいい経験、財産として残っていく。いい勉強になったと思うよ。

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坂本勇のプロ入り1年目オフ、08年1月のグアム自主トレから師弟関係が始まった。当時19歳の青年と、ピークに差し掛かる29歳、1年目の主将。伝承は、無意識のうちに始まった。

坂本勇 ほとんど話したこともないのに「自主トレ行くぞ」と誘ってくれた。

阿部 初ヒットが衝撃的だった。ナゴヤドームで、延長12回に代打。窮地の場面で打てるんだから。何だ、このやんちゃ坊主は? って。それがきっかけ。

坂本勇も主力に定着した11年1月のグアム自主トレに、2人らしいエピソードが残る。自主トレ中は寝食をともにし、3食の食事はすべて阿部が手配した料理人が用意する。シーズンを戦い抜くための体作りとなれば、まだまだ線が細かった坂本勇には“大食い合宿”的な要素もあった。

阿部 勇人はハンバーガーを食べたかったんだろ?

坂本勇 あったかも(笑い)。朝昼晩って、トレーニングかってくらい、すごい量のご飯を食べてましたよね。胃袋にハンバーガーが入る余裕はないですよね。だから逆に食べたかったのかな…。最後のほうは、休みの日は食事は各自でしたね。長野さんがハンバーガー大好きだから「そんなに食べないでしょ」ってくらい買ってきた。

阿部 別に食べればいいじゃん。「食べたい」って言えばよかったのに。

坂本勇 いやいや。食事を全部、やってもらっていて、そんなこと言えないですよ。「ハンバーガー食いたいです」なんて言ったら「何を言っちゃってるの?」となりますよ。

遠かった背中が少しずつ近づいてきた…はずだった。阿部は主将としてチームを6度のリーグ優勝へと導いた。世代交代を象徴するように、バトンが引き継がれた。するとチームは突如、低迷期に入った。

17年6月。球団史上ワーストを更新する13連敗に直面した。

阿部 俺が流れを変えてやろうと思って、西武戦で走ったけどアウト。こういう時は何もしちゃダメだと思った。盗塁…もし決めたら流れが来ると思っちゃったんだ。

坂本勇 今までで一番「しんどいな」と思った瞬間でした。めっちゃ、キツかったです。

阿部 ゾーンに入るよな。「勝てねぇだろうな」って。

坂本勇 その時、初めて試合中に選手を集めてしゃべった。これは今言わないとアカンと思って、言った。それでも勝てへんかった。どうしたらいいんやろうって。「もう無理です」ってなる。「切り替えて、頑張っていきましょう」って言ってもチームは負ける。

孤独だった。押しつぶされそうになった。そのとき-。

坂本勇 ミーティングを2回やったけど負けた。「僕、言うことないです」って感じですよね。気持ちの中で「長野さん、たまには言ってくださいよ。僕だけじゃ無理です」って投げやり気味の状況。そしたら、阿部さんが電話をかけてくれて。「もういいんだよ」って感じで言ってくれた。

阿部 選手のトップが下を向いたら、チーム全体が下を向く。それだけは伝えたかった。勇人だけは下を向いたらダメ。原監督だって「いいじゃないか負けても」って言ったことがあるんだ。負けても上を向かないと。前に進まないと。

坂本勇 すごい感謝してますよ。あの電話で、すごく楽になった。次の日にミーティングで「戦う姿勢だけは絶対に見せようと。勝ち負けは左右できへんから」って言えた。素直に、これだけのファンがいるんだと感じた。大げさかもしれないけど、目の前の景色が少し変わった気がした。

キャプテン継承のカリキュラムは修了した。

阿部 卒業。立派に旅立ったよ。俺の荷が下りたよ。これで気持ちよく辞められるよ(笑い)。キャプテンで優勝したら、もっと自信がつく。これからもっと優勝して、今以上に視野が広がっていく。いろんな物を見ていかなくちゃいけない。近い将来のことも。フロント、現場とかね。もっといろんなことが見えるようになって、また1つの組織の一員として、成長すると思う。

声に出した返事はいらない。坂本勇は阿部の目をじっと見てうなずいた。終わりのない、2人しか踏み入れない道-。巨人のど真ん中をいく。

 

 

◆阿部慎之助(あべ・しんのすけ)1979年(昭54)3月20日、千葉県浦安市生まれ。安田学園-中大を経て、00年ドラフト1位で巨人入団。01年に新人捕手で開幕戦に先発出場し、初打席初安打初打点。04年4月、当時の日本記録に並ぶ月間16本塁打。09年日本シリーズMVP。12年は首位打者、打点王、最高出塁率に輝き、リーグMVP、正力松太郎賞。17年に通算2000安打、今年6月には通算400本塁打を達成。ベストナイン9度、ゴールデングラブ賞4度。180センチ、97キロ。右投げ左打ち。今季推定年俸1億6000万円。

 

◆坂本勇人(さかもと・はやと)1988年(昭63)12月14日、兵庫県伊丹市生まれ。青森・光星学院では06年春の甲子園に出場。同年高校生ドラフト1巡目で巨人入団。08年に高卒2年目の野手として中西(西鉄)清原(西武)に次ぐ史上3人目の全試合先発出場。12年に最多安打、16年に首位打者、最高出塁率。17年に右打者では史上最速となる通算1500安打。ベストナイン4度、ゴールデングラブ賞2度。15年から主将。186センチ、83キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸5億円。