24年前の1996年5月9日、衝撃の「生卵事件」が起こった。日生球場最後のプロ野球となった近鉄戦の試合終了後、ダイエー王貞治監督、選手らが乗ったバスが抗議行動に出たファンに囲まれ、生卵も投げつけられた。王監督は就任2年目。1年目は5位に終わり2年目も開幕から最下位に低迷。ファンの怒りが爆発した。

現在ソフトバンクの球団会長の王さんは昨年1月、都内の日本記者クラブで会見し生卵事件を振り返った。「『卵をぶつけられるような野球をやっているのは俺たちなんだ。だからこそ、ぶつけられないようにしよう。あの連中に喜んでもらおうよ』という話を選手たちにしました。我々にとってはいい刺激になったと思います」。屈辱の「生卵事件」から3年後の99年、王ダイエーはリーグ優勝を果たし、日本シリーズも制した。

【復刻記事】

近鉄に惜敗したダイエー王監督らを乗せた移動のバスが、またしても過激なファンに取り囲まれ、15分の足止めを食らった。この日、日生球場では7日に起きた「バス包囲騒動」の再発を警戒し、通常の警備員36人に加え私服警官8人を動員。さらにバスの出発口を左翼横からバックスクリーン裏に移し、その周辺の警備員も前回より10人多い30人に増やした。選手のバス乗車も試合終了30分後に遅らせるなど、さまざまな対策が講じられたが、効果はなかった。

人波からは「辞めろサダハル」のシュプレヒコール。バスには心ないファンから野球の応援とは無関係な生卵が投げ付けられた。

試合終了と同時に球場に険悪なムードが漂った。1人の男が三塁側フェンスを乗り越えると、ベンチ前に待機していたガードマンが取り押さえた。直後に「辞めろサダハル」コールとともに、グラウンドのレフト定位置付近には発煙筒が投げ込まれ、白煙が立ち込めた。この日は計4人のファンが警備員に取り押さえられた。

「選手も何をやらなきゃいけないかは分かっていた。あと一押し足りなかったな」と振り返る王監督は、バ声に「勝てば文句は言われないんだ。このファンも勝てば拍手で迎えてくれたはず」と耐えた。王ダイエーは不調というトンネルからの脱出と、ファンへの対応という難問を抱え込んだ。

<この日のダイエースタメン>

1(三)松永

2(遊)浜名

3(中)秋山

4(二)小久保

5(指)吉永

6(左)若井

7(右)ライディ

8(一)河野

9(捕)坊西

先発投手=吉田豊

◆中内正オーナー代行(36)は「近いうちに福岡で王さんを誘ってカラオケにでも行きますよ。きまじめな人なので、息抜きをしてもらって少し肩の力を抜いてもらいます」と語った。この日都内で行われたデドー元南カリフォルニア大野球部監督の叙勲を祝う会に出席。「打線もいいし、防御率も昨年よりはいい。歯車がずれているだけ」と、冷静に現状を分析していた。

<2日前の7日にはファンにバスを包囲される事件が起こった>

ダイエー王貞治監督(55)らナインを乗せた移動のバスが7日、日生球場で行われた近鉄戦終了後、20分にわたって怒った300人のファンに取り囲まれた。近鉄に大敗、最下位に低迷する王ダイエーに対して「サダハル辞めろ!」「パの恥だ!」などとバ声が飛び、周辺は一時暴動寸前の緊迫した雰囲気に包まれた。バスの出口に座り込むファンも出て、球場側では警備員を緊急増員して難を逃れた。2年目王監督の現状を象徴する「立ち往生」だった。

日生球場のレフト側通用門が、異様な熱気に包まれた。「出てきて謝れサダハル、辞めろサダハル!」「パの恥だ!」。王ダイエーが4-10の惨敗を喫した試合後だった。約300人のファンが、王監督らナインが乗った移動のバス目がけ一斉にシュプレヒコールを叫び始め、門の前に座り込んだ。約20人のガードマンが扉を開けようとしたが、殺気立ったその光景に扉をピシャリと閉じた。午後10時25分に首脳陣、選手全員が乗り込み、2台のバスはいつでも出発できる態勢だったが、暴動寸前のファン心理を刺激しないようにとの配慮から、バス車内の照明はすべて消された。通路を開けるために置かれていた工事用の三角柱を、門越しに投げ込むほど、ファンは殺気立っていた。

伏線はあった。1回には先発ホセが2死満塁からボークで先制点を献上。2失点の3回には無死一塁から、併殺コースの二ゴロを、小久保からトスされた浜名がまさかの落球。さらには4回、2番手浜涯が3連続四球を出し、近鉄光山の三ゴロを湯上谷が間に合わない一塁へ悪送球。失策つきとはいえ、なんとも珍しい走者一掃の内野安打を記録してしまった。

10点差をつけられた4回裏終了後には、次々とメガホンがグラウンドに投げ込まれた。「辞めろ、サダハル」を合唱しながら、手に持つ横断幕には「南海復活、王監督解雇、89番はヘタ」と過激な文句がズラリと並んだ。前身の南海の本拠地だった大阪ならではの出来事だが、それだけでは済まされないハプニング。「監督のさい配が下手。お金をかけて選手を取るのはいいが、まず若い人を育てろ。それで悪いのなら、僕たちは2年でも3年でも待つ」、「本拠地が変わり、監督が代わっても全然よくならない」などファンは嘆いた。

午後10時45分、ガードマンの説得で、ファンはようやくバスの通路を開けた。だが、バスを見送るバ声は「平気な顔をしてバスに乗っていられるな!」「こうなったら、宿舎を襲ってやろう」と、集団心理からさらに過激さを増していた。

左翼スタンドのファンについて質問された王監督は「それは仕方ないこと。勝負の世界なんだから」とポツリ。18年連続Bクラスに甘んじた昨年でも見られなかったファンの実力行使。だが、バスに乗り込む間際、「王監督、頑張って」とエールを送る少数派のファンもいた。「ああいうファンもいるんだから」と自分に言い聞かせるように言ったが、20分間の「立ち往生」ではバスのカーテンのすき間から腕組みをしたままミケンに深いシワを刻む厳しい王監督の表情が垣間見えた。

※記録と表記などは当時のもの