19年前の2001年5月22日、ヤクルト藤井秀悟投手がマウンドで涙を流した。最後まで手を抜かない全力プレーが「暗黙のルール」を犯したとされ巨人ベンチからヤジを飛ばされた。勝利投手にはなったが完投目前で崩れまさかの降板。それでも同30日、再び巨人戦に登板。投打に活躍し巨人を返り討ちにした。

プロ2年目のこのシーズン、藤井は14勝を挙げ最多勝、ベストナインにも輝いた。通算83勝を挙げ13年に引退。今季はDeNAの広報担当兼打撃投手としてチームを支える。

【復刻記事】

予期せぬ怒声だった。ヤクルトの左腕、藤井秀悟投手(24)の完投ペースがヤジで狂った。7点リードの9回表。遊ゴロに倒れた藤井が巨人ベンチに向かい、頭を下げた。ヤジに思わず反応したが、9回裏マウンドに上がる前には目には涙がたまっていた。先頭の江藤に本塁打を浴び、続く松井から3連続四死球。高津が後続を断ち、5勝目は手にしたが今季2度目の完投を目前のまさかの降板劇は、今後の対決に遺恨ムードを残した。

全力疾走で一塁を駆け抜けたヤクルト藤井が巨人ベンチ前で立ち止まった。9回表。2死三塁で打席に入ると遊ゴロを放つ。この時点で8-1と7点の大量リードにもかかわらず打ちに出て、全力で走った。この展開で、そこまでするのか!-巨人ベンチからヤジを浴びせられたのだ。

次の瞬間、「すいません」と3度、頭を下げる。そのままベンチに戻ったが、9回裏のマウンドに向かう前、ベンチで腰を下ろす藤井の目は真っ赤だった。その姿は、5安打1失点と、快投を演じていた8回までとは別人だった。こみあげる感情を抑え切れない。目元を潤ませ、気持ちの整理もつかないまま先頭江藤に1発を浴びた。さらに3連続四死球を与え、降板した。新巨人キラーの異名さえささやかれるプロ2年目の左腕にとって、巨人から浴びたヤジは、心を打ち抜く「痛打」となっていた。

「いろいろありますから…」。試合後、アイシング姿で報道陣の前に現れた藤井は1度も笑みを見せることなく、最終回のマウンドを振り返った。「江藤さんに打たれた本塁打は点差もあったから。でも、あと…」。そう言って言葉に詰まった。自分が取った行為。7点差でも打ちに出たプレーが、これほど反発を買うとは想像もつかなかったようだ。

抑えの高津が後続を断ち、巨人戦負け知らずの2勝を含め、ハーラートップタイの5勝目を手にした。若松監督は「藤井で負けるわけにはいかなかった」と絶賛した。だが、藤井には白星と引き換えに大きな宿題を残した試合となった。藤井の帽子のツバにはこう書いてある。「心如鉄石」。マウンド上で強いハートを持ちたい、という気持ちを込めたものだ。もんもんとした思いをシャワーで洗い流したのか、球場を離れるころはサバサバした表情に戻っていた。「僕は打つことも一生懸命しないといけませんから」。鉄のハートを取り戻そうと、懸命になっているように見えた。

◆藤井の母校・早大野球部の中村広毅マネジャー(4年=藤井が4年時に2年生) 優勝した時(99年春)も泣いていませんでしたし、普段は人前で涙を見せない人です。ヤジにも無関心というか、逆に闘志を燃やすタイプです。

【当日のスタメン】

<ヤクルト>

1(中)真中

2(遊)宮本

3(右)稲葉

4(一)ペタジーニ

5(捕)古田

6(三)岩村

7(左)ラミレス

8(二)土橋

9(投)藤井

<巨人>

1(二)仁志

2(左)元木

3(三)江藤

4(中)松井

5(一)清原

6(右)高橋由

7(遊)二岡

8(捕)村田真

9(投)鄭ミン哲

<30日の登板では巨人を泣かせた>

全力プレーを貫いた。ヤクルト藤井秀悟投手(24)が投打に活躍し、昨年のプロ初勝利から巨人戦4連勝を飾った。22日の前回対戦では終盤の全力プレーをヤジられ、涙さえ浮かべた。因縁の対決となったこの日、投げては7回1/3を無失点、打っても2回に先制適時打、5-0で迎えた7回にはダメ押し適時打。巨人を返り討ちにした。

藤井は打つ気満々だった。7回1死二塁、リードは5点。1球目にバントの構えを見せたが、状況は変わった。小刻みにバットが揺れる。「ベンチからは『打て』のサインでしたから」。酒井の140キロの直球を見事なまでのセンター返しでダメ押しの6点目。2回にも中前適時打で先制点をたたき出している。一塁ベース上で笑みがこぼれる。全力プレーを期待するファンから、惜しみない拍手が送られた。

「ホントたまたまなんです。2回は直球を待っていて打ったのはスライダーでしたから」とさかんに照れた。警戒するあまり巨人ベンチからは「打者として攻めろ。内角だぞ」の指示が飛んでいた。高橋尚が投じたのは高めのスライダー。「バッターボックスに入るのが一番気が休まる」という9番目の打者は、本能でバットを出していた。

この1週間、涙騒動の反響の大きさに、内心驚いた。プロ野球界で存在するとされる「暗黙のルール」に「知らなかった」(藤井)と涙を流してから8日。ファンから励ましのメール、電話が球団事務所には連日届いた。うれしい半面「暗黙のルールってあるんですよ。同じ状況だったら? 投球に影響するから走らない」。心は揺れていた。

この日打たれたら今後に響く。若松監督からは2度、チームメートからも励ましを受けた。「気持ちは切り替わってます」と表向きには公言していた。騒動後の初戦。疲労がたまり体調も良くない。「メッタ打ちされなければいいんです。弱いやつと思われるじゃないですか」と自分に言い聞かせた。球速は速くても140キロ前半しか出ない。「古田さんのリードが最高でした。ミットだけを目がけて投げただけ」と相手ベンチも気にならないぐらい必死だった。

今季6勝目をマーク。うち3勝が巨人戦だ。昨年のプロ初勝利から4連勝の若きGキラーは困難を乗り越えた。「おまえは男だ!」。スタンドからの声援が、心に響いたに違いなかった。