今秋ドラフト候補の目玉は“探求心”が生み出した。最速155キロ左腕の早大・早川隆久投手(4年=木更津総合)が20日、プロ野球ドラフト会議(26日)を前にインタビューに応じた。今秋の東京6大学リーグでは、ここまで3勝0敗、防御率0・34。昨年までと見違える安定感を誇る。既にロッテが1位指名を公表。最大6球団の競合が予想される屈指の存在となるまでの軌跡を語った。【取材・構成=古川真弥】

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緊急事態宣言が出された4月前半だった。チームは活動休止。早川は1日の自主練習を終え、東京・東伏見の寮でボーっとテレビを見ていた。そうしたら…。

早川 マツコさんが言ってたんです。「緊急事態宣言が出たけど、こういう時こそ、人間の本性が現れるよね」って。

マツコさんとは、マツコ・デラックス。「限られた中で、自分を見つめ直しながら、どれだけ成長できるかで本当の人間性、人間力が出る。自粛期間が終わった後、いろんな俳優が出てきてもおかしくない」。本音をズバッと言うタレントの言葉が心に響いた。

早川 野球に当てはめてみたんです。もう1回、自己分析して成長するのは大事だなと感じました。

危機感を抱いていた。3月22日、巨人2軍とのオープン戦に先発し、5回9安打4失点。「状態は良かった」のに、打ち込まれた。

早川 真っすぐで差し込めてはいるけど、外野に落とされる。アウトコースに決まってはいるけど、カットされる。「あれ? まずいな」と。大学生相手であれば、ある程度、抑えられていたけど、プロとの力の差を感じさせられました。

映像を見返し気がついた。「体の開きが少し早い」。軸足の粘りが足りず、すぐに重心が沈み込むため、右半身を早く開かないと腕が出てこなくなっていた。

早川 沈みすぎないよう体重をお尻で抑えつつ、ぎりぎりまで体重移動。右足の着地と同時に、たまった力を使って強く回転する。

新型コロナウイルスの感染拡大が始まった。

早川 自粛期間があったから、研究できました。

マツコ・デラックスの言葉にも背中を押され、研さんを積んだ。大学の方針で球場は閉鎖。その分、走りまくった。日替わりで、300メートル×16本、600メートル×8本、坂道ダッシュ&10キロ走の3メニュー。粘りを出せるよう下半身を徹底的に鍛え、あえてボールは握らなかった。「悪い癖をつけないように。焦ると、嫌な、違うフォームになってしまう」。5月中旬までシャドーピッチングで理想に近づけた。

効果てきめんだった。6月頭のチーム活動再開に合わせ、ブルペン入り。球速、球質とも一気に上がった。8月の春季リーグ。開幕戦の10日明大戦で自己最速を3キロ更新する155キロをたたき出す。現在開催中の秋季リーグでは、初完封を含む2完投で3勝0敗、防御率0・34。小宮山悟監督(55)が「無双状態」とたたえる活躍で、優勝争いの原動力となっている。

もともとドラフトの上位候補には挙がっていたが、さらに評価を高め、競合必至の逸材に進化。高校からのプロ入りではなく、進学を選んだ4年前は思いもしなかった。

早川 正直、当時は「プロに入れればいいな」ぐらいでした。でも去年、先輩たちが指名漏れし、プロに行くのは厳しいんだなと。

直後、監督と同じく元プロの徳武定祐コーチ(82)から「お前は来年、1位指名競合で行かなければいけない」と言われた。順位にこだわり始めた。コロナ禍という逆境でも、やるべきことに取り組んだ。その結果の成長だった。

座右の銘を聞いた。

早川 「平常心」と思ってますけど、保てていない。ベンチの姿を見ていただくと分かりますが、うれしい時は爆発する(笑い)。

色紙には「探求心」と書いた。

早川 高校の時は、これといった武器がなかった。その武器は何だろうと求め、早稲田大学に入りました。これからも、いろいろ探し求めることがレベルアップにつながるのかなと。

探求心を支える源の1つに、110代主将として感じる「背番号10の重み」がある。(つづく)

◆早川隆久(はやかわ・たかひさ)1998年(平10)7月6日、千葉県生まれ。上堺小1年からソフトボールを始める。横芝中では軟式野球部に所属。木更津総合では1年秋からベンチ入り。2年春と3年春夏に甲子園出場。早大では1年春からリーグ戦に登板し、通算50試合で11勝12敗、防御率2・71。3年時は大学日本代表として日米大学選手権優勝に貢献。180センチ、76キロ。左投げ左打ち。