タイトルを手にしたことは、1度もない。それでも、12球団のファンから愛される。そんな選手が、かつていただろうか。高校野球の強豪、帝京出身の日本ハム杉谷拳士内野手(30)は、元気いっぱいのタレント性が魅力だ。原点は高校時代。球界の人気者に宿る〝帝京魂〟とは―。

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日本ハム杉谷が打席に立つと、昨季途中から流れる応援歌がある。

「ピンチになったらきっと、助けに来るよ。あいつが、うわさの、うわさの、うわさのスギノール。魂!」

帝京野球部の大先輩、タレントとんねるずの石橋貴明(59)が、自身のYouTubeチャンネル「貴ちゃんねるず」で発表した応援歌だ。とんねるずのおかげで、世に広まった「帝京魂」という言葉。それは、杉谷に言わせれば「オレがやってやるんだ!っていうメラメラしたもの」なのだという。

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高校入学当初の身長は、170センチに届くか届かないか。いつも、前から2番目だった。厳しい練習で知られる帝京で、前田三夫監督(72)からは叱られてばかりだったが「いつか絶対、倒してやる」と踏ん張った。体が小さかったため、弁当箱は大きな容器2つ分。食べても食べても、先輩たちから残り物がまわって来る。昼食の時間が憂鬱(ゆううつ)だった。

杉谷 前田監督からは「自分の長所を伸ばしなさい」と言われてきました。「何でお前は、そんなに下を向くんだ」とも。先輩たちに怒られて、よく下を向いて反省したふりをしていたけど「いいじゃないか。お前、間違ったことはしていないんだから言い返せ。向かって行け。お前のいいところは、そこなんだ」と。

周囲のレベルの高さに驚きながらも「この人たちを蹴落としてでも1年目から試合に出てやる」という気概があった。

忘れもしない06年夏の甲子園準々決勝。1年生ながら背番号「6」で出場した智弁和歌山戦で、衝撃的な投手デビューを果たした。4点あったリードは、いつの間にか1点差。9回裏、投手は使い切り、1人も残っていなかった。

「おい、拳士。肩を回せ」。指揮官からの指名に驚いた。投手の練習なんて、高校入学後はしていない。1死一塁からマウンドに上がったが「カーブって、こんな感じかな」と投げた初球は、痛恨の死球。たった1球で降板となり、チームもサヨナラ負けで敗戦投手となった。

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杉谷 9回裏に入る前に円陣を組んだんですけど、中村さん(ソフトバンク中村晃)が投手の打診を断っていたのは、鮮明に覚えてます(笑い)。試合後は前田監督から「お前は勝負弱い。何であそこで投げきれない。君にはもう、聖地のマウンドは踏ませませんよ」と言われました。しょうがないじゃん、投手やったことないんだから。ただ、3年生には本当に申し訳なくて…。

苦い経験は「絶対に甲子園で勝ちきらないと」という燃料に変わった。

「あの日の前田監督の言葉がなかったら、今こうしてプロになっていなかったかもしれない」と振り返ったのは、高3夏の大会前に行われた練習試合だ。「今日はスカウトが来ているから、お前、左で打て」。もともとは右投げ右打ちだが、左打席のデビュー戦で、いきなりサイクル安打を記録。その後も、東海大相模との試合では左打ちで場外弾をかっ飛ばした。相手投手は、後に日本ハムで一緒にプレーする大田泰示。貴重な両打ちという武器は、前田監督との出会いがあってこそだった。

帝京が甲子園に姿を見せなくなって、久しい。だが、新型コロナウイルスの影響で選手権大会が中止となった昨夏は、9年ぶりに東東京大会を制した。

杉谷 もう10年近く、甲子園に行ってないですからね…。監督は会う度に体が細くなっていく。選手は、いつの間にか、おとなしい子が増えましたね。テレビで試合を見ていても、昔のようなメラメラしたものが伝わって来ない。

OBとして、ちょっと辛口になったのは、寂しさからか。

両打ちで内外野が守れるユーティリティーというだけでなく、試合前に全力で歌う君が代斉唱や死球でのガッツポーズ。一挙一動が、敵味方関係なく観客の視線を引きつける。

杉谷 「帝京魂」って高校時代に使ったことは1度もなくて、むしろ今の方が積極的に発信しています。プロになった今も、エネルギッシュに戦うことだけは常に心掛けている。どんな時も、前向きに楽しく。僕がきっかけで、野球を始める子が増えてくれたらうれしいです。

どんなに時が経とうとも「帝京魂」は燃え続ける。【中島宙恵】

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