阪神岩田稔投手(37)が29日、現役引退を決断した。近日中に会見する。6月中旬から中継ぎに挑戦した今季は1軍に3試合登板。後半戦は2軍調整が続き、球団の来季構想から外れていた。1型糖尿病と闘いながらプロ16年間で60勝、防御率3・38。功労者として1軍で引退試合が催される方向で、来季は球団内にポストを用意される可能性が高い。

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昨秋にはもう覚悟を決めていたのかもしれない。20年11月6日、午後5時55分過ぎ。岩田稔は自宅でリモコンを手に取り、子供たちに優しく声をかけた。

「ちょっとチャンネル替えるな。絶対に見たい試合があるから」

午後6時ちょうどになると、スマートフォンの撮影画面をテレビに向けた。中日吉見一起がナゴヤドームのマウンドに上がる。ヤクルト山崎から空振り三振を奪う。高校時代から親交の深い1歳下の引退試合をまぶたに焼きつけ、つぶやいた。

「あれだけすごいピッチャーでも、1軍で投げるチャンスがなくなる時が来るんだな…」

昨季の1軍登板は5試合どまり。12月に減額制限を超える51%ダウンの推定年俸1860万円でサインし、腹をくくった。「中継ぎもやってみたい」。以前からの思いを胸に秘め、21年をスタートさせた。

1月は新型コロナウイルスに感染した。それでも懸命に状態を上げ、6月中旬から中継ぎに挑戦。ウエスタン・リーグでは17試合登板で4勝1敗、防御率1・97と数字を残した。

7月には1軍でも3試合に登板し、防御率0・00と奮闘。ただ、後半戦は若手の台頭もあって、2軍調整が続いた。引き際を悟っていたタイミングで球団の来季構想から外れ、ユニホームを脱ぐ決意を固めた。

大阪桐蔭2年冬に1型糖尿病を発症。同病が原因で社会人チームへの入団内定が取り消されながら、関大で反骨心をエネルギーに変え、大学・社会人ドラフト希望枠入団を勝ち取った。大卒3年目の08年に10勝。09年3月にはWBC日本代表として世界一も経験。60勝を記録した16年間に後悔はない。

「自分からすれば、1型糖尿病でありながら生活するのが普通だから、何も思わなかった。でも俺、よう頑張ったよな」

現役生活の終盤、周囲に漏らした言葉からも充実感だけがにじんだ。

長年にわたって先発ローテを支えた功労者でもあり、今後は1軍で引退試合が催される方向。現役生活を通して1型糖尿病の啓発活動にも努めた功績も評価され、来季は球団内にポストを用意される可能性が高い。

やり切った。熱く感情むき出しで左腕を振り続けた日々に、岩田稔は笑顔で別れを告げる。【佐井陽介】