ソフトバンク工藤公康監督(58)が今季限りで退任する意向を固めたことが10日、分かった。就任7年目の今季は2年契約の2年目でここまで4位と低迷。リーグ連覇の完全消滅が目前で、CS進出も険しい状況となっている。球団からは続投要請を受けたが、成績不振の責任を感じて辞退する意向を伝えた。

鷹の黄金時代を築いた工藤監督が、チーム低迷の責任を取り、ユニホームを脱ぐ。就任1年目の15年と17年、20年と3度のリーグ制覇。短期決戦ではすさまじい強さを発揮し、18、19年と2度の下克上を合わせて、ここまで7年間で5度の日本一に導いている。

今季は前半戦からエース千賀や守護神森、主軸のグラシアルらが次々と離脱。交流戦は球団ワーストの5勝9敗4分け、勝率3割5分7厘。10月には12年以来、自身最長となる8連敗と、リーグ優勝どころかCS進出も厳しい状況だ。

工藤監督は「選手たちは勝ち負けのことを考えず、自分の力を出せるように。責任はこちらにある」と話してきており、8年ぶりのBクラスが迫って覚悟を決めたようだ。球団は昨年入閣した小久保ヘッドコーチの昇格や外部招へいも視野に入れて後任を検討する。

工藤監督は直接指導も含め、投手陣の整備に力を発揮した。育成出身の千賀をエースに育て上げ、東浜や石川も先発ローテーションに定着。中継ぎも毎年のように若手が台頭し投手王国を築き上げた。野手では17年から育成出身の甲斐を正捕手起用し、日本代表の扇の要にまで成長させた。

この日の試合前には「まだみんなが戦っている最中でシーズンの途中。まだCS進出も可能性がないわけではないので。可能性がある限りはしっかり、チームとして戦っていかないといけない」と話すにとどめた。残り10試合。最後まで懸命のタクトを振る。

◆工藤公康(くどう・きみやす)1963年(昭38)5月5日、愛知県生まれ。名古屋電気(現愛工大名電)から81年ドラフト6位で西武入団。94年オフにダイエー、99年オフに巨人へFA移籍。07~09年は横浜。10年に西武復帰後、11年12月に引退表明。15年からソフトバンク監督。93、99年リーグMVP。最優秀防御率、最高勝率を各4度、最多奪三振2度。正力賞5度。16年野球殿堂入り。

<工藤ホークスの歩み>

◆15年 工藤監督就任。松坂入団。ホームランテラス席が設置され、柳田がトリプルスリーの活躍。90勝でリーグ連覇、ヤクルトを破って2年連続日本一。

◆16年 筑後の2軍施設が完成。日本復帰の和田が15勝で最多勝。4月から首位を独走も最大11・5差を日本ハムに逆転されV逸。

◆17年 ドラフト1位で5球団競合の田中を獲得。開幕後には川崎が加入した。福岡移転後最多の94勝でリーグV奪回。日本SではDeNAを退け日本一。

◆18年 4月に守護神サファテが離脱するなど、西武に後れを取り優勝を逃す。CSでは西武を破り、日本Sでも広島を倒して球団初の“下克上”日本一。

◆19年 4月に柳田が左膝裏を痛め長期離脱。終盤までV争いも西武に優勝を許す。CS以降は1敗後に10連勝で3年連続日本一。

◆20年 城島氏が球団会長付特別アドバイザー就任。10月に15年ぶりの12連勝で3年ぶりリーグ制覇。ポストシーズンは無敗で4年連続日本一。

◆21年 小久保ヘッドコーチが加入。前半戦からエース千賀、守護神森、主砲グラシアルら故障者が相次ぐ。10月には就任後初の8連敗を喫した。