巨人亀井善行外野手(39)が21日、都内のホテルで会見を行い、今季限りで現役を引退すると表明した。上宮太子高から中大を経て、04年ドラフト4位で巨人入り。今季で巨人一筋プロ17年目のベテランがバットを置く。

約50分に及ぶ引退会見の一問一答は以下の通り。

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-引退を決めた時期、理由

亀井 今季の数字、成績もそうですけど、昨年のケガで今季オフにスタートしたんですけど、トレーニングも積んで来ました。ですが、完治することはなく、今季も戦って来たんですけど、良いプレーができないというふうに感じました。自分の中ではこういう数字になることはシーズン前から少し感じてました。開幕戦は代打でサヨナラホームラン打ちましたけど、あれが今年一番の当たりだったなと思います。自分の中で、5月に引退を決めました。大塚副代表、原監督には9月上旬に伝えたんですけど、自分の中では5月に引退することは決めてました。

-納得できないプレー、瞬間があったのか

亀井 困ったときに亀井がいると思われるような選手になりたいと言って来ましたし、その中でケガの影響で自分の打撃を崩してしまった。思い通りのバット軌道が描けない。そういうところに納得がいかずというか。結果が全てなので、結果が出ない時期が長かったので、治りそうにないという判断でしたね。

-最後のケガは

亀井 股関節、左の軸足、内転筋、肉離れ3カ所発症し、まひ症状が出てしまいました。それが治らなかったと。今でも治ってないということですね。

-私生活にも影響があったのか

しっかりトレーニングは積んで来たんですけど、先ほども言いましたが、治りそうにない、治って来ないという判断です。

-5月に引退を相談した相手は

亀井 1人で悩みました。家族にも5月に決めたときは怖くて言えなくて。本当に悩んだという所ですね。まあ、なんていうか…今年で妻にはもしかしたら覚悟はしておいてくれとは伝えたんですけど、ちょっと濁した感じで。はっきりは言えなかったです。

-子どもや両親に相談は

亀井 本当に、辞めると言うことが自分自身も想像できなくて、最初に家族には最初に伝えなきゃいけないんですけど、引退すると言うのが怖くて言い出せなかったのはあります。

-はっきり言ったのは最近

亀井 9月上旬、大阪でしたけど、大塚副代表、原監督に伝えた後に、引退すると伝えました。

-反応は

亀井 反応が怖くて言えなかったんですけど、正直戸惑っていた感じではあったんですけど、よく頑張ったねと言ってもらいました

-子どもも

亀井 子どもは本当に嫌がってたというか、本当に辞めちゃうの? という感じでしたね。

-多くの仲間や恩師にどんな言葉を伝えたい

亀井 ここまで育てていただいたのは、中高大学と恩師がいますし、その方たちの指導のおかげでここまでやって来られた。シーズンが続いてますので、まだ電話では話してないんですけど、ラインで伝えさせていただきまして、シーズン終了後に自分の言葉で伝えたいと思います。

-巨人はどういう存在

亀井 子どものころから夢だったプロ野球選手になれたこともそうですし、12球団で一番有名な読売巨人軍だと思ってますし、そこに入団できたことは本当にうれしく思いますし、今まで指導していただいた方々のおかげだと思います。

-プロ入り当初、どんな衝撃が

亀井 当時はとてつもない人たちばかりで、野球どころじゃないというか雑用係というか、そういう雰囲気だったんですけど。そんな中で1年目、オープン戦ですかね、初ヒット打ったときに清原さんが一番に出迎えてくれたことがすごく印象的ですし、本当に温かい方々ばかりだなと。これでプロ野球生活、1歩踏み出せたなと思いました。

-どういう声をかけられた

亀井 「ナイスヒット」と言っていただいたし、これが第1歩なんだなと思いました。

-谷選手、長野選手が入団したりと競争も激しい球団

亀井 そうですね。自分も力不足でしたし、その中ですごい選手ばかり入ってくるので、本当にやっていけるのかという気持ちもありましたし。でもやっていかないといけない。1年目に結婚して、家族を養っていかないといけないという思いもありしました。どうやって生きていこうか、どうやって戦っていこうか、どうやって1軍に入っていこうか、そういうことばかり考えていたいと思います。

-外野も内野の守備もやった

亀井 守備に関しては譲れないところもありますし、いろいろミスもして来ましたけど、失敗のおかげで成長できた。いまだに若い選手には守備では負けてないと思ってますけど。まあ自分が生き残るために内野もどこでもこなさないといけないと思いました。原監督にチャンスをいただいたと思って、必死になって練習しました。今は内野はできないですけど、外野のプライドはまだまだ持ってますし、そこは若い選手に託して行きたいと思います。

-亡くなった木村拓也選手の存在も大きな影響を

亀井 そうですね。自分も2010年から本当に不振で苦しんで、ケガもありましたけど、そのときに拓さんに「野球は9人でやるものじゃない。控えでも輝けるところがある」と教わりました。「1軍のピースは必ずある」と。自分もそういう選手になりたいと。レギュラーを諦めたわけじゃないですけど、ケガ持ちの自分にはレギュラーは難しいところはありましたし、なんとか名脇役っていうんですかね。黒子に徹したいという思いがそのときから強くありました。全てのポジションを守れるのも大事ですけど、スタメンも代打も守備固めも、また違った選手になれたら良いなと思って今までやりました。

-それを後輩に伝えたり

亀井 たいした実績もない自分ですけど、なかなか口では後輩たちには教えられないですけど、なんとか背中で見せられたら良いなと思ってた。どういう風に後輩が感じてくれたかはわからないですけど、そういうふうに感じてくれたらうれしいと思います。

-09年のWBCを振り返って

亀井 正直、今だから言えますけど、選ばれたくはなかったです(笑い)。実績ない自分が行くのはつらかったですし、他にもたくさん実績残した方が落選していくのを目の当たりにして、辛い思いもしましたし。でも結果行って、世界一とれたことが力をもらえたというか。その年に初めて規定打席に乗って、ゴールデングラブ賞もとらせていただきました。良い経験になったと今思い返して思います。

-力になった

亀井 本当にすごい選手ばかりそろってたので、自分だけ違うなと感じてた。まあ辛かったですけど、選ばれたからには、選ばれなかった人たちのためにも、試合では貢献できないかも知れないですけど、声出しや雑用で貢献できればと思って行きました。

-イチロー氏からもお褒めのことば

亀井 偉大な方に、直接聞いたわけではないですけど、そう言っていただけてうれしかったですし、エネルギーをもらったというか自信をもらった。そういう感じでした。

-サヨナラのイメージがある

亀井 入団当時からきゃしゃでメンタルも弱く、技術もなく、体力もなかった自分がそういう場面で打てるようになったのは、今まで指導していただいた方々、原監督もそうですし、偉大な先輩方の背中を見て努力してきたつもりです。何かプロの世界に入ったからには何か残したいと思っていた。そういうところで名を残せたのは良かったかなと思います。

-何度もケガを乗り越えた。支えになっていたものは

亀井 何度も、もうやっていけないという気持ちになったことは正直何度もありました。でも、何度でもはい上がってやろうという気持ちにさせてくれたのはファンのみなさんのおかげだと思ってます。どんな時も朝早くからジャイアンツ球場でタオル掲げてくれるファンの方々がいてくれるから自分は頑張れましたし、自分にとってはファンのみなさん、忙しいのに朝から来てくれて感動しましたし、1人でも自分のことを応援してくれる方が居るなら、またはい上がってやろうと思いました。