借金22を誇りに-。阪神岩田稔投手(37)が現役引退セレモニーを終えた26日、9年ぶりに復活した日刊スポーツ独占コラム「氣」の最終回で現役16年間に感謝した。「ムエンゴ病」と称された苦悩を乗り越え、タイガースでユニホームを脱ぐ決断を下すまでの舞台裏にあった感情とは。虎の投手陣を支え続けた左腕はチームがV逸した夜、日本シリーズ制覇の夢を後輩に託した。【取材・構成=佐井陽介】

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日刊スポーツ読者の皆さん、お久しぶりです。阪神岩田稔です。このたび、現役を引退させていただくことになりました。自分1人では絶対にここまでやれていません。皆さんの声援があってこその16年でした。たくさんの応援、本当にありがとうございました。

10月31日で38歳になります。肩肘は元気ですが、もう心が限界でした。1月に新型コロナウイルスに感染した後、自分の中で燃えるモノが少しずつ消えてしまって…。ああしたい、こうしたいという向上心を持っていたはずなのに、頑張っても1軍は厳しいだろうなと。1歩踏み出すよりも1歩引いた状態で自分を見るようになってしまって、そんな気持ちでタイガースのユニホームを着続けるのは失礼だと感じていました。

僕は気持ちがしっかりしていれば体が動くし、気持ちがなくなれば終わるタイプ。そういう意味では今年はもうダメでした。専属トレーナーの網川翼さんから治療の途中に「良くなろうという覇気が伝わってこないな」と冗談交じりに言われた時も、妙に納得してしまったり…。そんな状態での1年間はすごく長かったし、つらかった。家族にも「もう辞めるかもしれない」という話は何度もしていましたし、最終的にユニホームを脱ぐことを決めた時は正直、ホッとしました。

実を言うと、引退を発表する直前、台湾やイタリアのプロチームが獲得を考えているという話も聞こえてきました。もともと海外でプレーする夢を持っていましたし、ありがたかったのですが、ここまで育ててくれた愛着のあるタイガースの縦じまで終わりたいという気持ちが強く勝りました。今年は中継ぎも経験させてもらえましたし、こんな成績なのに盛大な引退セレモニーまで開いていただいて、球団や先輩、後輩、そしてファンの皆様には感謝の気持ちしかありません。

現役生活を振り返ると、ほぼ100%と表現してもいいぐらいつらい時期ばかりでした。特に試合をつくっても勝てない日が続いた頃は、1型糖尿病で人一倍健康管理に気をつけなければいけない立場なのに、お酒に逃げてしまった時もありました。広島戦だったらマエケン(前田健太、現ツインズ)、黒田博樹さんとの投げ合いが続いて負けが込んだり…。「ムエンゴ病」なんて言葉が作られた時期は「自分は打ってあげたいと思わせられない投手なのか」と相当悩みました。

勝てない自分が悪いのですが、一時期は批判もすごかった。僕たちプロ野球選手はたたかれるのも仕事の1つ。割り切るしかないと自分に言い聞かせつつ、「おまえには学習能力がない」「引退してください」と書かれた手紙に落ち込んだり…。でも、投げて抑えてガッツポーズして、何より仲間が点を取ってくれた瞬間に何もかもが吹き飛ぶんです。お立ち台で皆さんの大歓声が聞こえると、どれだけ応援してくれている人がいるのかが身に染みて、その度にタイガースでプレーできるありがたみに感謝させてもらいました。

通算60勝82敗ですか。よく負けましたね。でも、僕にとって借金22はひそかな誇りでもあります。負けを肯定するつもりはありませんが、それだけ試合をつくって責任を背負った数字でもあるので。阪神を応援してくださる方々には何度となくガッカリさせて、今も申し訳ない気持ちでいっぱいです。ただ、16年間全力を出し切りましたし、ある意味、僕らしい成績で終われて後悔はありません。自分の体には「お疲れさん」と言ってあげたいです。

優勝以外はやり切りました。僕が成し遂げられなかった優勝という夢は、頼れる後輩たちに託します。今年はまだクライマックス・シリーズ、日本シリーズが残っていますし、目の前の試合を命がけでもぎ取ってほしい。最後、祝勝会に参加させてもらえると信じて、テレビの前でワーワー応援させてもらいます。(阪神タイガース投手)

◆岩田稔(いわた・みのる)1983年(昭58)10月31日生まれ、大阪府出身。大阪桐蔭-関大を経て05年希望枠で阪神入団。08年にローテ入りし10勝。WBC09年大会に出場し世界一メンバーに。14年には9勝を挙げ日本シリーズでも先発するなど、貴重な左腕として活躍してきた。179センチ、97キロ。左投げ左打ち。