「日本で一番のピッチングコーチと呼ばれるようになりたい」。

今季限りで退団するソフトバンクの倉野信次ファーム投手統括コーチ(47)が28日、自ら球団に辞意を申し入れた理由を明かした。

「僕自身、もっとコーチとしてのスキルアップを図らなければいけないという思いがあった。今のままでいい部分もあるし、もっと勉強しなければいけない部分もある。他の球団はどうなのかも知りたい。自分がもっと成長するためにはいろんな経験しないといけないと思った」

09年に2軍投手コーチ補佐に就任。11年から新設の3軍で投手コーチとなり、主に若手育成に尽力してきた。工藤前監督が就任した15年は2軍投手チーフコーチ、16年から19年まで1軍投手統括コーチなど常勝チームの投手育成を支えてきた。

特に11年は当時高卒の育成選手で入ってきた千賀を密着指導。自ら自転車に乗って走り込みに付き合うなど鍛え上げ、日本のエース格にまで育てた。メディアでは「千賀を育てたコーチ」として騒がれた。「千賀を育てたと言われますけど、たまたまですよ。たまたま僕がいたときに千賀がいただけ。でもそういう出会いには恵まれたなと思います。だから逆に僕は千賀に感謝してます。僕の名前を広めてくれたわけですから」と優しい笑顔を浮かべる。

10年にプエルトリコで行われたウインターリーグで、指導者としての考え方が変わった。「海外の野球、コーチングを見られたこと。海外で生活する大変さを知れたことが僕の転機だった」。初めて訪れるプエルトリコの街。2カ月のうち、初めの1カ月は恐怖で外出もできなかった。「ここは大丈夫なんだなと思って初めて外が歩けるようになったんですよ」。岩崎翔投手、16年で現役引退した大場翔太投手とともに、異国の地で苦楽をともにした。未知の世界での経験が、向上心をかきたてたという。

「選手たちのことを思うと寂しいというか、申し訳ない気持ちもたくさんあった。迷いはありました。でもやっぱり、(自分は)ここままではだめだなと」。

最後に「人生の一番の目標は、日本で一番のピッチングコーチと呼ばれるようになりたい」と教えてくれた。決して後ろ向きな退団ではない。常勝軍団を支えた名コーチは、また手腕を磨いて球界に帰ってくる。【只松憲】