頂には届かなかった。オリックス吉田正尚外野手(28)は日刊スポーツに独占コラム「頂に駆ける」を寄稿してきた。タイトルは今季開幕前に思いを込めたもの。

シーズン終盤には度重なるけがに泣されたが、2年連続の首位打者、初の最高出塁率に輝く活躍でリーグ優勝に大きく貢献。日本シリーズ敗退後、常勝軍団になっていくと誓った。【取材・構成=真柴健】

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描いた青写真まで、あと1歩だった。意地で戻ってきた神戸の舞台。寒空の下、吉田正は悔しさをかみ殺した。延長12回2死二塁。左翼から懸命にバックホームを試みたが、決勝点を阻止できなかった。

「リーグ優勝したときはグラウンドに立てなかった。絶対にね、日本一の胴上げで今年を終えたかった」

険しい道の連続だった。9月上旬に走塁で左太ももを痛めて全治6週間だったが「ポジションに穴をあけたくない」と3週間で戦列に戻った。10月上旬には死球を受けて右手首を骨折。優勝争いの真っただ中で、全治2カ月と診断された。失意の中、栄養管理や8時間睡眠を徹底し1カ月後のCSファイナル初戦で再び帰ってきた。「ここまで来たら日本一しかない」。その一心でグラウンドに戻ったが届かなかった。

28歳の選手会長を支えるのは紅林に宮城、太田、山本、山崎颯、田嶋、宗ら25歳以下の選手が目立つ。

「若い選手が多いチーム。ここを起点にして…ね。優勝がゴールじゃない。これで満足している選手はいない。もっと成長できる。生まれ変わるじゃないですけど、良い方向に。自分自身も、みんなに負けることなく成長していきたい」

28日からは「22年シーズン」がスタートする。この1年の経験を糧にしてつかみ損ねた栄光へ再び挑む。

「また胴上げをしたい。今年の勝ち癖を、絶対に忘れてはいけない。常勝軍団という意味では、来年も再来年も…ずっと勝ち続けて、強い印象を与えたい」

日本シリーズは敗れたが、25年ぶりのリーグ制覇には手応えを感じている。「今まで低迷していたので、ファンの皆さんには、本当にお待たせしました」と帽子を取って頭を下げ、決意も新たにした。

「パ・リーグではソフトバンクみたいにね。今年は(8年ぶりに)Bクラスになって、あれだけ騒がれた。4位でもダメなんだと。10年後には、僕たちもそう思われるチームでありたい。今までは正直…。Aクラスに入りたいと思って戦ってきた。でも、それじゃダメなんだと。最低でも、毎年首位争いをするチームに。毎年10月、11月にしびれるゲームをしていきたい」

骨折した右手首は完治しないままで、日本シリーズ第3戦からは志願して左翼守備にも就いた。全力で戦い抜いた。

「無理しているわけではないですよ。自分のベストを尽くすだけ。出られる試合は、毎試合チームの勝ちに貢献したい。家族のため、ファンのため、仲間のため、自分のため…」

涙はグッとこらえた。「頂」を目指す物語は、まだ続く。

◆吉田正尚(よしだ・まさたか)1993年(平5)7月15日生まれ、福井県出身。敦賀気比では1年夏と2年春に甲子園出場。青学大では通算17本塁打。15年ドラフト1位でオリックス入団。メジャーの好選手ブライス・ハーパーにあやかり背番号34をつける。1年目の開幕戦に1番DHで先発出場。18年に定位置を確保し、3年連続全試合出場を果たす。20、21年に首位打者、21年は最高出塁率も獲得。日本代表として19年プレミア12優勝、今年の東京五輪では金メダル獲得と、球界を代表する外野手となる。173センチ、85キロ。右投げ左打ち。