同じ68年生まれ(誕生日も1日違い)であり、サイドスロー、そして伝家の宝刀シンカーで一時代を築いた。西武編成ディレクターの潮崎哲也氏(53)は、高津氏の野球殿堂入りを「同じ時代をプロ野球で過ごした人間。とてもうれしい」と祝福した。

西武-ヤクルトの92年日本シリーズ。潮崎氏が投げるシンカーを見た野村監督が高津氏に、その習得を命じた。翌年から守護神となり、第7戦までもつれた同年のシリーズでは、2人ともに優秀選手賞を獲得。潮崎氏は「オリジナルのシンカーを作り上げたのは、彼の頭のよさ、地道な努力でしょうね」とたたえる。

現役終盤のこと。友利結(デニー友利)氏も交え、熱いシンカー談議をしたことがある。夜の六本木の飲食店でばったり。もちろん白球など近くにない。「ミカンかリンゴない?」。そう店員にお願いした。テーブルに来たのはミカン。右手に握ると、ボール代わりとした。「球の抜き方」「握り」「感覚」などを語り合った。認め合う一流同士の会話が続いた。

驚いたのは「握り方の違い」。潮崎氏は中指に人さし指を添えて投げる。一方、高津氏は中指と人さし指を開く。薬指と中指の間からボールは抜けづらくなるはずだが、高津氏は独自の感覚で回転を与え、何種類も、そして自在に操れた。「制球力は本当にすごい。本当に高さ、コースを間違えない。そこは私は全くかなわない部分だった」。そうすごみを回想した。【上田悠太】