日刊スポーツはオリックスの25年ぶり優勝を記念し、「火曜B」と題したスペシャル企画を今月末まで毎週火曜日にお届けします。第8回は、21年パ・リーグ本塁打王の杉本裕太郎外野手(30)を生んだ15年のドラフトに光を当てます。杉本は昨年、最下位指名(10位)からの本塁打王という史上初の快挙を成し遂げました。獲得の決め手になったワードは「右の柳田」「将来の3冠王」。21年のリーグ制覇につながった分岐点のドラフトに迫ります。【取材・構成=堀まどか】

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ドラフト会議を見守るスカウトの控室を、熱気と興奮が包んでいた。15年10月22日、東京・港区のグランドプリンスホテル新高輪。日本ハム、巨人が8巡目で指名を終え、残ったのはオリックスと西武だった。

オリックスは青学大・吉田正尚外野手、パナソニック・近藤大亮投手と、投打の即戦力を1、2巡目で獲得。高校から社会人までの世代を取っても、まだ指名を続けていた。何巡目になっても「絶対に取ろう」と決めた選手がいた。JR西日本・杉本だった。

「脚力があって肩が強くてあの体で動ける。走攻守1つ1つ取ればスーパーな選手でした」。現在、編成副部長を務める牧田勝吾は、杉本の能力をそう語る。10巡目で杉本が呼ばれたとき、控室のオリックススカウト陣はつぶやき合った。「ドリーム枠だな」と。全体87番目指名の外野手は夢いっぱいの選手だった。

のちに2人のタイトルホルダーを誕生させ、25年ぶりのリーグ制覇につながったと言われる15年ドラフト。当時は、再生への思いを込めたドラフトだった。

14年は最終盤まで優勝争いを演じて2位になったが、15年は早々と自力優勝の可能性が消滅した責任を取って森脇浩司監督が6月2日から休養。最終順位は5位に終わった。前年の好成績を継続させられなかったショックは大きかった。

シーズン途中にヘッドコーチから監督代行になり、その後監督就任が決まった福良淳一のもとで再起を図ったドラフト。当時の編成部長だった加藤康幸は「中長期的視野に立った補強」「東京五輪への選手派遣」の2大構想を打ち出した。さらに「ひょっとしたらっていう可能性を感じさせる選手は1人は取りたい」という思いでドラフトに臨んだ。そこで、中国・四国の担当スカウト、柳川浩二が推したのが杉本だった。

スケールは破格だが、穴も大きかった。だが柳川は「右の(ソフトバンク)柳田になれる素材」「3冠王も夢ではない」と推した。

元巨人二岡智宏、元近鉄藤井彰人らと同期で、97年のアマ全5冠を独占した近大をマネジャーとして支えた柳川は、2つの殺し文句で魅力を説き続けた。「杉本に勝てるドリーム枠の選手はいなかったですね」と牧田は述懐する。自身もスカウトを経験した監督の福良も、熱意を理解した。

指名を検討したライバル球団はない、という情報を得て“最下位指名”が決まった。大企業の選手を10巡目で指名して、会社を納得させられるのかという懸念はあった。その懸念も、クリアした。熱意と調査力を実らせた担当スカウトの大仕事だった。(敬称略)

◆杉本裕太郎(すぎもと・ゆうたろう)1991年(平3)4月5日生まれ、徳島県出身。徳島商-青学大-JR西日本を経て、15年ドラフト10位でオリックス入り。17年9月9日の楽天戦で、プロ1号を初回先頭打者本塁打で飾った。昨年獲得した本塁打王は、20年2本から史上最多の「前年比30本増」でのタイトルとなった。今季推定年俸は5600万円増の7000万円。190センチ、104キロ。右投げ右打ち。

◆21年の杉本 杉本はプロ6年目で覚醒の時を迎えた。「吉田正のあとを打つ打者」というチームの課題に応え、青学大の後輩と3、4番を形成。20年首位打者の吉田正を孤立させない大活躍を見せた。32本塁打を放ち、球団では10年に33発を放ったT-岡田以来、日本人の右打者に限れば阪急時代の73年に43発を放った長池徳二以来、48年ぶりの本塁打王を獲得した。打率3割1厘も、吉田正、西武森に次ぐ3位。83打点も楽天島内、ロッテのレアードに次ぐ3位と、打撃3部門で上位の成績を残した。優勝に直結する働きで、ベストナインにも選出された。杉本自身は7年前のドラフトを「スカウトの方々が見てくれていたのが本当にうれしい。ロマン、ロマンと言われていたけど、結果で恩返しがしたかった」と振り返る。まさに恩返しの優勝貢献だった。