◆西武球団史

 パ・リーグ発足の50年、福岡市を本拠地に誕生した西鉄クリッパーズが前身。51年から西鉄ライオンズに。三原脩監督の54年に初のリーグ優勝。翌55年は2位に終わったが、56年から3年連続でリーグ優勝と日本一を達成。63年には就任2年目の中西太監督が5年ぶりのリーグ優勝に導く。73年に太平洋クラブ・ライオンズ、77年にクラウンライター・ライオンズへと変わり78年10月に西武が買収。本拠地も埼玉・所沢に移転。広岡達朗監督就任1年目の82年に、西武としては初のリーグ制覇。日本シリーズでも中日を4勝2敗で下し、日本一に輝く。83年は4勝3敗で巨人を下し連続日本一。しかし85年の日本シリーズでは、阪神に敗れ広岡監督が退団となった。その後、森祇晶監督が86年から94年までの9年間で5連覇を含むリーグ優勝8度、日本一6度と黄金時代を築く。95年から01年までの7年間は東尾監督が指揮を執り2度のリーグ優勝。02年は伊原監督が就任しリーグ優勝。04年に現役を引退した伊東監督が就任すると、その年導入されたプレーオフでダイエーを破り、12年ぶりの日本一に輝く。07年スカウトがアマチュア選手2人に裏金を支払っていたことが発覚。チームも5位と低迷、25年続けていたAクラス入りを逃す。成績不振で辞任した伊東監督に代わり2軍の渡辺久信監督が昇格、チーム名を「埼玉西武ライオンズ」に変更し、心機一転を図った。かつての黄金時代をエースとして支えた渡辺監督が指揮官として1年目から日本一という大きな結果を残した。

 球団事務所は埼玉県所沢市上山口2135。後藤高志オーナー(西武ホールディングス、西武鉄道社長)、小林信次球団社長。