日本が世界に羽ばたいた時代、アンチもシンパも関係なかった。「ミスタージャイアンツ」「ミスタープロ野球」と呼ばれ、そして「ミスター」の称号だけで長嶋茂雄氏を指すようになった。「昭和」の野球界を支えたのが同氏なら、弟子の松井秀喜氏は「平成」を代表する野球人だった。

 長嶋氏は1958年に4連続三振でプロデビューし、74年限りで現役を引退した。時代は高度経済成長期。64年に東海道新幹線が開通し、アジアで初となる東京五輪が開催された。王貞治氏とのON砲で、巨人を65年から9年連続の日本一に導いた。その間、70年には大阪万博もあった。

 74年に「巨人軍は永久に不滅です」のせりふを残してバットを置いた。この年の6月、松井氏が生まれた。長嶋氏は75年に巨人監督に就き、リーグ連覇も果たしたが80年に解任された。世の中がバブル景気に浮かれた時期は、浪人と称して充電期間に充てた。

 92年オフ、巨人監督に復帰した。バブル崩壊後の時代が要求したかのような復帰だった。直後にドラフト1位で松井氏を引き当てた。希代の高校生スラッガーは夏の甲子園で5連続敬遠され、賛否両論の社会問題にも発展していた。

 松井氏は「ゴジラ」の愛称で親しまれた。豪快な本塁打でファンを熱狂させ、93年のサッカーJリーグ発足による野球人気下降にストップをかけた。長嶋監督を師と仰いで成長し、3度の日本一に貢献した。

 2003年に米大リーグ、ヤンキースに移籍した。09年のワールドシリーズで3本塁打を放ち、日本選手初の最優秀選手に選ばれた。衆院選で民主党が圧勝し、政権交代があった年だった。太平洋を股に掛け、日米の野球ファンを魅了した。