<さよならプロ野球>

 2014年も多くの選手が球界の第一線を退いた。「さよならプロ野球」で新たな人生を歩み出した元選手を紹介する。

 ロッテ小池翔大捕手(26)は、ミットをパソコンに持ち替えた。2軍用具係に転身。慣れないパソコンの操作に四苦八苦している。文章を打ちこむのにも両手の人さし指1本でタップ。「携帯電話のフリック入力でやりたいぐらいです」と苦笑いしながら、新たな業務の習得に励んでいる。

 戦力外の通告は、チームで1人だけドラフトの後だった。ここ数年、ロッテは1度に通告を行っていたから、周囲には2度目の通告は想定外だった。しかし、小池は覚悟していたという。「1度目の通告の時にも、なんで俺にはないんだろう。おかしいなって、逆にモヤモヤしていましたから」。フェニックスリーグに参加中の宮崎で言い渡された時、現役への未練は不思議なほどなかった。それは「まだできるんじゃないか」という両親を自分で説得したほどだった。

 クビの宣告が13年だったら、こうはいかなかった。ケガが続き、不完全燃焼だったからだ。13年オフ、クビがつながった時、14年にかけてみようと思った。福沢バッテリーコーチとともに、勝負の1年を過ごした。14年はイースタン・リーグ54試合に出場、打率は3割7分9厘。「この成績でもダメだったら、しょうがない。『できることはやった』って思いました」。

 球団からは、戦力外通告と同時に、2軍用具係の話をもらった。1度、持ち帰ったが結論は出ていた。「他球団に行って、1年でクビになったりした時、戻って来られるとは限らないですからね。それにロッテはいい人ばかり。環境も好きだった」。ありがたい話だと思った。野球界にいられることに感謝した。

 新たな夢もできた。「いろいろやってみたい。用具係だけじゃなくて、ブルペン捕手ですとか、スカウトですとか。いろんなことに興味が湧いています」。ユニホームを脱ぐが、野球が好きな気持ちは変わらない。選手時代と同じ情熱を持って、チームを支える。【竹内智信】

 ◆小池翔太(こいけ・しょうた)1988年(昭63)6月24日生まれ、東京都出身。常総学院-青学大を経て10年ドラフト4位でロッテに入団。フジテレビ三田友梨佳アナは大学の同級生。13年は1軍出場なく14年から背番号24から57に変更した。1軍通算成績は1試合出場。183センチ、86キロ。右投げ右打ち。