<さよならプロ野球>

 2014年も多くの選手が球界の第一線を退いた。「さよならプロ野球」で新たな人生を歩み出した元選手を紹介する。

 次のマウンドは、東北の地・福島にあった。ヤクルトから自由契約となった真田裕貴投手(30)は、2015年からBCリーグの福島にコーチ兼任投手として入団する。

 これで5度目の移籍。希望したNPB球団ではないが「頑張りますよ」と、喜びをかみしめた。

 国内外を渡り歩いてきた。01年に姫路工からドラフト1位で入団した巨人を皮切りに、横浜、巨人、台湾・兄弟、ヤクルトと移籍を繰り返した。その間にはポスティングでメジャーを目指したこともあった。巨人のドラフト1位選手が、台湾・兄弟の入団テストも受けた。なぜ、そこまでできるのか。答えは1つ。「野球がしたいから」だった。

 それでも、今回は決断に迷いが生じた。30歳を過ぎた年齢的なことを考えると、1度NPBを離れると、もう戻れないかもしれないという不安があった。夫人と息子を東京に残して、単身福島に腰を据えることにもなる。「家庭もあるし、どうなるのか、まったく想像できなかった」。現役を引退することも考えた。

 最後は心の声に従った。「止まっていても仕方ない」と前を向いた。「一番大きいのはコーチで指導できることでした。遅かれ早かれ、いつかこういう時が来る。NPBではないですが、指導者ができる人は一握りだと思うんです」。やっぱり野球が好きだった。これまでのように、新しい挑戦に挑む道を選んだ。

 15年からは、初のコーチ業との二足のわらじとなる。それでも「コーチとしては1年目。正直、選手の力量も分からないけど、1人でも多くNPBに入る手助けができればいい」と指導者の目標を語ると、こう続けた。「選手としてはやってきたことをしっかり出して、お手本になれれば。まだやれる自信はあります」。さよならを告げるのはまだ早い。大好きな野球を、思い切りやり抜く覚悟だ。【浜本卓也】

 ◆真田裕貴(さなだ・ひろき)1984年(昭59)2月7日生まれ、大阪府出身。姫路工から01年ドラフト1位で巨人に入団。その後、横浜-巨人-台湾・兄弟-ヤクルト。13年は台湾プロ新記録の32ホールドをマークした。プロ通算成績は312試合24勝28敗3セーブ、防御率4・42。181センチ83キロ。右投げ右打ち。