1999年(平11)9月25日午後8時43分、ダイエー王貞治監督(59)が涙をこらえ4度、宙に舞った。西武がデーゲームで敗れ、マジック1で臨んだ本拠地福岡ドームでの日本ハム戦。3―4の7回主砲小久保の24号で追いつき、8回井口が勝ち越し14号。無敗男・篠原からペドラザへの必勝リレーでVを決めた。ダイエーとしては11年目で初、前身の南海からは73年(昭48)以来26年ぶりの優勝だった。栄光の巨人を去り、成長過程にあったチームを優勝戦線に導いた王監督が史上5人目のセ、パ制覇を達成。王ダイエーが至福のときを迎えた。
グッと込み上げるものは熱かった。感情を抑制しがちな王監督でも、こらえられない。ベンチからマウンドの輪に急ぎながら、もう泣きそうだった。でも、無理な笑顔をつくってごまかした。両手を水平に広げて4回、宙に舞う。巨人時代にもなかった、グラウンドでの優勝胴上げだ。「気持ちが高まって、胴上げしている時は広い宇宙で1人だけなんだと最高の気分だった」。監督就任5年目。ついに悲願を成就した。
試合前、二女の理恵さん(29)から数珠を贈られた。恭子夫人(55)から託されたものだ。「心臓に近い方が御利益がある」という言葉を素直に聞き、左手首に巻きつけた。
前日24日、胴上げされる瞬間を想像して「年を取って涙もろくなっているから」と号泣を予告したものだが、これまで募った悔しさをこの日だけで晴らすわけにいかなかった。「選手がよくやってくれた。その一言です」と感極まった声で話した。
1993年(平5)11月。故根本球団社長(当時球団専務)からダイエー監督を口説かれて以降、5年の歳月を要した。福岡への単身赴任を「都落ち」と言う人もいる中で引き受けたのは、巨人監督解任の悔しさを晴らしたい一心だった。「巨人は大学でいえば東大。エリートばかりで、こちらから教えることは何もない。だけどダイエーは一からたたき込めて自分の野球ができる」。
道は険しかった。就任1年目。「世界の王」の称号に苦しんだ。偉大なプレーヤーと、あこがれる選手。過度の尊敬は両者の間に距離をつくった。常に「優勝」を叫んだが、結果は1年目から5位、最下位、4位。やりたかった攻撃野球では勝てない。「僕は冷たいんだ。勝つためには好き嫌いで人を使わない。独裁者でいい」とするチームづくりが、選手との間の溝を広げた。
96年には移動バスにファンから生卵を投げつけられた。帽子のツバの下には「忍耐」と記した。初のAクラス、同率3位を確保した昨年暮れには、スパイ行為疑惑が発覚。
今年のキャンプ直前、故根本球団社長が、なおも距離を置く選手に説いた。「お前たち、何を構えている。868本塁打したって、見てみろ、特別な人間じゃないんだぞ」。
59歳を迎えた5月20日の日本ハム戦(東京ドーム)、1点差を篠原、ペドラザらの中継ぎ陣で守り抜いた試合が5年目で確立した「うちの野球」だった。「これから日本シリーズ、来年と前に向かわなければ」。今日こらえた涙は日本一をつかんだとき、と決めている。【中村泰三】(1999年9月26日付日刊スポーツ)




