王貞治監督(68)は、勝つことに誰よりも執念を燃やした野球の求道者だった。午後5時15分から始まった記者会見は、すっきりした表情で約1時間話した。06年にがんの手術をした後、監督として戦う姿勢を保てなかったことを自らが一番わかっていた。球界をけん引し続けたスーパースター。世界一監督にもなった「ビッグ1」は、最後のユニホームとなったホークスで指揮を執った14年間を「本当に幸せでした」と話した。

 --決断したのは

 王監督「いつごろというより9月に入ってから不思議な戦いの連続だった。考えられないような戦いが再三、出てきた。名案はないか、やっていっても流れは変わらない。今日は変わるんじゃないか、と毎日、グラウンドに立ったが、自分の思いはちっともしぼまない。ここまでふくらんだら球団に申し入れるしかない、と。私は野球が好きで、ユニホームを着てグラウンドで死ねればいい、と思っていた。でも、手術をして、足もとも何か自分の足ではないような気がして。監督は参謀本部の仕事じゃなく、突撃隊長の立場。そういうのはすべて好ましくない」。

 --選手には試合前にどのような報告を

 王監督「今日の試合も来年も試合もある。もっともっとずっと戦っていかなければいけないし、技術を上げるために常に最善を尽くして臨んでほしい、と」。

 --選手たちの反応は

 王監督「意外と思った人もいれば、そういう日が来ちゃったなという人もいたと思う。我々の世界にはだれでもこういう日が来る。選手たちの方が心の準備があって、コーチの方がそぶりを見せなかったからビックリしたのでは」。

 --14年間の思い出は

 王監督「ホークスに入る前、(専務取締役兼監督だった)根本(陸夫)さんに話を受けた時に、戦力的には成績のような勝てないチームでなく、もっともっと戦えると。ただ勝つことに執着しない、勝つためにやる気持ちが薄かった。負けを受け入れる、それを何とか我々は勝つためにやっているんだと。僕がホームランを打つのもチームが勝つためだった。最初はギャップを感じたが、勝つことで選手も目覚め、指揮する方も楽になった」。

 --今後について

 王監督「本当に14年間、幸せでした。何で九州の人、福岡の人はこんなに温かいんだろう、と私生活を含めて本当に幸せな14年間でした。第2の故郷である福岡、野球人生の中で大きな割合を占めるホークスを思う気持ちはますます強くなると思う。私の力でできることは、100%の力を出し切って行きたいと思う。これから何をするか、一切考えていませんので、しばらくはのんびりさせていただきたいと思います」。